2025.06.02 更新
第202回 「遠くへ行きたい」

京都梅小路鉄道博物館内の蒸気機関車館。
毎夕4時過ぎの扇状車庫への入替作業は見もの
この現場で、そしてこの写真でもBGMは、作詞・永六輔、作曲・中村八大、歌・ジェリー藤尾のゴールデントリオの、冒頭タイトルで決まりでしょう。
で、話は永六輔である。
小欄185回の「街」、長年の京都の夏の風物詩・宵々山コンサートでの永六輔の巧みな話術の謎を知りたくて、一つの帰結がこのタイトルの30分の民放TV番組。
早稲田大学時代、放送作家、作詞家そして旅人として民俗学者・宮本常一を敬愛するプロフィール。つまり全国各地の風習、史跡、民話、邦楽、文化などの素養がふんだんに発揮され、番組開始数年は、旅人(レポーター)番組構成を一人でこなすマルチぶりをふんだんに発揮した。
Youtubeで探す中で良かった三篇。まず佐渡編。島流しの地と言われる佐渡の歴史、現在に残る風習、民話、地蔵盆そして、世界的な太鼓集団になった鼓童の昔と今。見ごたえがあった。京都編は、嵯峨野・寂庵に瀬戸内寂聴を訪ね、京都の大学紛争時のたまり場・進々堂でコーヒー飲み、自ら店の暖簾に落款した一澤帆布、民芸の河井寛次郎記念館で陶器に触れている。「うーん、『京都』をよくご存知」と脱帽する。最後は山口編。ねじ一本使わず巻金とかすがいと使った技法で独特の曲線の錦帯橋、そして橋梁(きょうりょう)の語源で張(はり)が橋(はし)と呼ばれ、この橋梁は行政上の呼び名だそうだ。漂流歌人の永さんが師と仰ぐ宮本常一はこの周防出身で彼が心がける師の三点の言葉。①人の話の先を行け②風の様に歩け③高い所から全体を一望せよ、だそうだ。
各編興味深い話が続く。
そんな旅番組の草分けだが、ある時番組スタッフの「観光とグルメを入れたい」に断固反対した事、そして番組スポンサーの国鉄に対し、「民営化反対」をハッキリ言明し、この番組から降板させられた経過など話題に事欠かない。当時の前田武彦、大橋巨泉,小沢昭一など骨のある放送文士は言行一致の骨のあるキャラクターが多かった。旅人として、高齢過疎の村人が守り続ける風習伝統文化の現実を見るにつけ、この国の施策との矛盾にぶち当たるが、それを避け当たり障りのない観光グルメ番組で落ち着かせる昨今の作り手。取材された方は自分たちの発言の真意がカットされてはまず見ない、そんな旅番組で良いのかと永さんは問うてきた。…さて、今の旅人はどう思うか?
2025.05.15 更新
第201回 新聞と半世紀
特設ページ・腑抜けNO会員で、地元・京都新聞読者欄の投稿常連さんが複数になった。そこでこのGW中私含め3人で懇談の場を持った。下記は私の話題提供。
50年間の劇的変化~新聞を配っていた時代
1971年(54年前)当時は各紙(京都、朝日、毎日、読売)専売店があり、配達、集金、
拡張の競争時代。
そして50年経た今…、まず「毎日」を「朝日」販売店が配り出し、その「朝日」をも、「京都」販売店が配っている。つまり、「毎日」、「朝日」専売店が消滅。なので、「京都」配達員は一般紙三紙とその関連スポーツ紙、業界紙一緒に現在配っている。バイク、自転車配達籠の中は、各紙毎小分類され「無茶苦茶大変」と配達員は言っている。つまり単純労働の新聞配達が、複雑、頭を使う仕事になってきた訳だ。今、京都地域の配達は、この「京都」グループと「読売」グループに二分類。
広告制作~新聞を作っていた時代
新聞配達と言う末端から、新聞製作と言う先端へ。(1976~1993年)
新聞記事の下の広告紙面部分を業としていた。一般的な営業広告、求人広告、死亡広告、
選挙広告などの臨時広告、意見広告など営業臨時広告と様々で、その分類で広告料金が違う。つまり利益率が違う。この辺りは素人にはわからない。だから広告人がどの分野で血眼になって営業しているか不思議に思われるはずだ。
投稿~新聞読者として声(意見)表明
1996年、妻が倒れてからの意見表明の場として活用。
この手法で、同境遇に方々と多く知り合い、妻が逝った第二ステージの「腑抜けNO会」でも活用。
記事~掲載される時代
これは上述の投稿時期と関連しつつ、「仕事と介護の両立」、「男性介護」、「伴侶亡くした会」として、その珍しさから各紙の取材対象・報道となり、今に至っている。
以上、新聞を配る、作る、書く、書かれる50数年だった。
そして今新聞は…
新聞(紙媒体)自身の存亡(対SNS)で、消滅はしないが希少媒体になり、個別配達出来なくなり、やがて駅売りのみに、そして高額になるだろう。
それは既に同じ紙媒体の雑誌、出版から撤退が始まるっている。更にソフトの富士通などとハードの大王製紙などが新聞製作から撤退し始め、全国紙、ブロック紙も過疎地から、夕刊撤退が相次いでいる。そしてこの4月から、京都新聞各行政区切替版が他行政区でも読め、より地域密着型の読者サービスとは表向きでは、実態は「新聞読まない」世帯増、販売低迷対策で、もっと細かな地域情報掘り起こしでの販売戦略だ。
もっと現実的事例が能登の北國新聞。被災で県外流出の行政情報の何倍かが県外に(一時)移住。これは、役所に住所変更せず一旦県外へ、やがて戻るかもしれないという意思表明だが、元々地震大雨で、読者が地域ごと無くなる、新聞販売店も無くなり、この時点で奥能登など北國新聞専売店は息の根が止まっている。すでに大合理化の兆候が出ているらしい。
新聞の今後の競争相手は、よく言われるSNSだけでなく、自然災害もその相手になる事を、この災害ニッポンで忘れてはならない。
50年間の劇的変化~新聞を配っていた時代
1971年(54年前)当時は各紙(京都、朝日、毎日、読売)専売店があり、配達、集金、
拡張の競争時代。
そして50年経た今…、まず「毎日」を「朝日」販売店が配り出し、その「朝日」をも、「京都」販売店が配っている。つまり、「毎日」、「朝日」専売店が消滅。なので、「京都」配達員は一般紙三紙とその関連スポーツ紙、業界紙一緒に現在配っている。バイク、自転車配達籠の中は、各紙毎小分類され「無茶苦茶大変」と配達員は言っている。つまり単純労働の新聞配達が、複雑、頭を使う仕事になってきた訳だ。今、京都地域の配達は、この「京都」グループと「読売」グループに二分類。
広告制作~新聞を作っていた時代
新聞配達と言う末端から、新聞製作と言う先端へ。(1976~1993年)
新聞記事の下の広告紙面部分を業としていた。一般的な営業広告、求人広告、死亡広告、
選挙広告などの臨時広告、意見広告など営業臨時広告と様々で、その分類で広告料金が違う。つまり利益率が違う。この辺りは素人にはわからない。だから広告人がどの分野で血眼になって営業しているか不思議に思われるはずだ。
投稿~新聞読者として声(意見)表明
1996年、妻が倒れてからの意見表明の場として活用。
この手法で、同境遇に方々と多く知り合い、妻が逝った第二ステージの「腑抜けNO会」でも活用。
記事~掲載される時代
これは上述の投稿時期と関連しつつ、「仕事と介護の両立」、「男性介護」、「伴侶亡くした会」として、その珍しさから各紙の取材対象・報道となり、今に至っている。
以上、新聞を配る、作る、書く、書かれる50数年だった。
そして今新聞は…
新聞(紙媒体)自身の存亡(対SNS)で、消滅はしないが希少媒体になり、個別配達出来なくなり、やがて駅売りのみに、そして高額になるだろう。
それは既に同じ紙媒体の雑誌、出版から撤退が始まるっている。更にソフトの富士通などとハードの大王製紙などが新聞製作から撤退し始め、全国紙、ブロック紙も過疎地から、夕刊撤退が相次いでいる。そしてこの4月から、京都新聞各行政区切替版が他行政区でも読め、より地域密着型の読者サービスとは表向きでは、実態は「新聞読まない」世帯増、販売低迷対策で、もっと細かな地域情報掘り起こしでの販売戦略だ。
もっと現実的事例が能登の北國新聞。被災で県外流出の行政情報の何倍かが県外に(一時)移住。これは、役所に住所変更せず一旦県外へ、やがて戻るかもしれないという意思表明だが、元々地震大雨で、読者が地域ごと無くなる、新聞販売店も無くなり、この時点で奥能登など北國新聞専売店は息の根が止まっている。すでに大合理化の兆候が出ているらしい。
新聞の今後の競争相手は、よく言われるSNSだけでなく、自然災害もその相手になる事を、この災害ニッポンで忘れてはならない。
2025.05.02 更新
第200回 町内会の存亡
東寺南門前に住んで41年、何故きっちりに言えるかというと、長女が生まれたその年に引っ越してきたからだ。当時この町内会は約100世帯のほとんどが一戸建。以降空き家跡地にマンション、今や民泊一軒貸家と「隣は何する人ぞ」状態。
その町内会の三役は年齢制限での選挙、8組に分割された組の各組長は、毎年順番の交代制で回覧板、市民新聞配布をやる。これは別に大したことはない。厄介なのは前者の会三役のトップの会長。そもそも選挙と言っても、選挙する側される顔共々、名前も顔も知らない人同士、前年度三役の申し送りの選挙。「とにかく1年の任期全うした後は任す」スタイル。別にこの形はこの町内だけでなく南区、京都市ほぼ全域。
と、ここまでのイントロでおわかりだろう。どこも地域住民は年々減っている。ここへ転居してきたけど意味を感じないので町内会に入らない。会費払わない。市民新聞不要、回覧板不要と言う類だ。なので当然近隣との挨拶はじめ交流は乏しい。逆に言えば自己主張出来る住民が増えたとも言えようか。選挙で何故自分が選ばれたのか、好きでなったのではないとの居直り、面倒くさい、貧乏くじ引かされた。大体被選挙氏名は世帯主の男性だが、実際の実務は夫人に任すと言うか、押し付けるダンナが多い。押し付けられた嫁さんは堪ったものでない。夫婦不和の一因にもなる。そこに地域の衰退、つまり少子高齢化の様々な現象が被さるとどうなるか。
最近見ない独身高齢者の安否確認、子ども主体の夏の地蔵盆だが対象の子ども自身が町内に居ない。これは事実が物語っている。30数年前の地蔵盆は8月の後半(土)(日)の二日間、子供たちの賑やかな歓声が路地から聞こえていた。…だが今は、昨年聞けば保育園小学生と言う対象の子どもは4世帯(70~80世帯内)、これだけでも大変なのに、秋の区民運動会への参加も、この町内会は4~5年前から取りやめたと。更に、この区民運動会不参加町内は増えている。それは加えて昔ながらの徒競走中心の頑固一徹のプログラムにもある。徒競争って、中学高校生が走るもの。その年代がいなくて残った成年(成人)は普段の運動不足で急に走れば心臓発作を起こしそうな人ばかり。脚のもつれより以前の運動する体でない。そこに見るだけ参加の高齢者も減少、要は区民運動会も早晩今のスタイルでは無くなるだろう。いくら区の体育振興会の偉い人の声掛けがあっても。
「能登」を見なくても少子高齢化の大波は東京以外の圧倒的県、つまりこの国全体に広がり、経済の底辺を外国人に頼り、災害起これば自助努力しかない。
町内会って何の意味あるの、役員の成り手ない、近所付き合いって面倒くさいの声々が深く静かに満ち溢れている。でも「裸の王様」風で誰も表立っては言わない。
果たして町内会は役員になるのも嫌、入るのも嫌との無意味な存在か?
町内会と言う組織の是非の前に、住居ライフライン、つまり電気ガス水道などの整備は「ポツンと一軒家」じゃあるまいし、近隣との共助で成りたっている。わかりやすい一例が夜の街灯だ。近所付き合い面倒な夫婦の夜間帰宅時、自宅の周りが真っ暗では、自宅の鍵穴さえ見えず、中へ入れない。つまり、一軒家を照らす灯りが必要で、その明かりは他の家も照らす灯りなのだ。そう考えると、近隣の高齢者障碍者がいつでもどこでも座れるベンチが近くにあるか、先述の民泊ならまだ良いが、不審者グループや暴力団がいつの間にか町内に住みついたらどうなるか?災害は町内選ばず押し寄せてくる。これらには一軒家では太刀打ちできない。警察、消防、自治体には、社会的・地域的に認知された住民自治組織である町内会が唯一の窓口となってくる。
町内会三役もそう考えたら、地域貢献役として、少しはやる気出るかな?
その町内会の三役は年齢制限での選挙、8組に分割された組の各組長は、毎年順番の交代制で回覧板、市民新聞配布をやる。これは別に大したことはない。厄介なのは前者の会三役のトップの会長。そもそも選挙と言っても、選挙する側される顔共々、名前も顔も知らない人同士、前年度三役の申し送りの選挙。「とにかく1年の任期全うした後は任す」スタイル。別にこの形はこの町内だけでなく南区、京都市ほぼ全域。
と、ここまでのイントロでおわかりだろう。どこも地域住民は年々減っている。ここへ転居してきたけど意味を感じないので町内会に入らない。会費払わない。市民新聞不要、回覧板不要と言う類だ。なので当然近隣との挨拶はじめ交流は乏しい。逆に言えば自己主張出来る住民が増えたとも言えようか。選挙で何故自分が選ばれたのか、好きでなったのではないとの居直り、面倒くさい、貧乏くじ引かされた。大体被選挙氏名は世帯主の男性だが、実際の実務は夫人に任すと言うか、押し付けるダンナが多い。押し付けられた嫁さんは堪ったものでない。夫婦不和の一因にもなる。そこに地域の衰退、つまり少子高齢化の様々な現象が被さるとどうなるか。
最近見ない独身高齢者の安否確認、子ども主体の夏の地蔵盆だが対象の子ども自身が町内に居ない。これは事実が物語っている。30数年前の地蔵盆は8月の後半(土)(日)の二日間、子供たちの賑やかな歓声が路地から聞こえていた。…だが今は、昨年聞けば保育園小学生と言う対象の子どもは4世帯(70~80世帯内)、これだけでも大変なのに、秋の区民運動会への参加も、この町内会は4~5年前から取りやめたと。更に、この区民運動会不参加町内は増えている。それは加えて昔ながらの徒競走中心の頑固一徹のプログラムにもある。徒競争って、中学高校生が走るもの。その年代がいなくて残った成年(成人)は普段の運動不足で急に走れば心臓発作を起こしそうな人ばかり。脚のもつれより以前の運動する体でない。そこに見るだけ参加の高齢者も減少、要は区民運動会も早晩今のスタイルでは無くなるだろう。いくら区の体育振興会の偉い人の声掛けがあっても。
「能登」を見なくても少子高齢化の大波は東京以外の圧倒的県、つまりこの国全体に広がり、経済の底辺を外国人に頼り、災害起これば自助努力しかない。
町内会って何の意味あるの、役員の成り手ない、近所付き合いって面倒くさいの声々が深く静かに満ち溢れている。でも「裸の王様」風で誰も表立っては言わない。
果たして町内会は役員になるのも嫌、入るのも嫌との無意味な存在か?
町内会と言う組織の是非の前に、住居ライフライン、つまり電気ガス水道などの整備は「ポツンと一軒家」じゃあるまいし、近隣との共助で成りたっている。わかりやすい一例が夜の街灯だ。近所付き合い面倒な夫婦の夜間帰宅時、自宅の周りが真っ暗では、自宅の鍵穴さえ見えず、中へ入れない。つまり、一軒家を照らす灯りが必要で、その明かりは他の家も照らす灯りなのだ。そう考えると、近隣の高齢者障碍者がいつでもどこでも座れるベンチが近くにあるか、先述の民泊ならまだ良いが、不審者グループや暴力団がいつの間にか町内に住みついたらどうなるか?災害は町内選ばず押し寄せてくる。これらには一軒家では太刀打ちできない。警察、消防、自治体には、社会的・地域的に認知された住民自治組織である町内会が唯一の窓口となってくる。
町内会三役もそう考えたら、地域貢献役として、少しはやる気出るかな?
2025.04.15 更新
第199回 富田亭
昨年から今年と行きつけの呑み屋が二軒閉店した。
一軒目は、京都駅八条口(新幹線口)から少し南に行った店。9年前妻が逝った後、新婚当時のアパートの思い出に浸りつつ、その近所を歩いていて偶然見つけた
カウンター6席とテーブル1席のこじんまり、母子でやっていて落ち着ける店だった。
しかし場所が場所、と言ってもお分かりだろうか。かねてからの京都駅周辺のホテル建設ラッシュ、地価・家賃高騰、競合店の乱立で、こんな地味な店は流れに翻弄されひとたまりもない。最近では北陸新幹線延伸に関わる京都新駅候補地とやらでの更なる騒動で、付近を怪しげな会社、人物の往来で物騒になり、昨年6月ダウン。
もう1軒は小欄第一部362回の店、腕の良い板前と気の良い嫁さんでファンも多かったが、客の財布のひもがどんどん固くなるこのご時世、坊主の日々が続き、16年間よく頑張った若夫婦だったが、この3月でダウン。
夕方の楽しみが二つ減った。さてどうする?
ならば我が家に人を寄せよう、小欄の二つの特設ページを我が家に寄せようとの発想だ。
昨年6月日本ベトナム友好協会京都支部(略称 日べト京都)事務所は、組織・財政困窮で事務所経費は出ない。結果事務所は我が家になった。つまり、月1回の役員会は我が家でやる。おっさん達が夕方~夜会議やって、終われば「ハイ、サヨナラ」となる訳がない。外では時間も金ももったいないとなれば、会議終了間際に準備した食材に火を入れたりで、間髪入れずの宴会へ早変わり。それでも約束事は一つ。会議を引きづらない。つまり責任ある議題から無責任な井戸端話題に変える事だ。基本メニューだけ私が準備するので、この頃から今号の冒頭タイトルを使うようになった。会費は1,000円。
そして、もう一つの特設ページに発展する。
既報の様に昨秋から5割増しの「腑抜けNO会」新入会員。とにかく早く顔と名前、人柄をを掴む必要性と、会員も年金生活者、「サンデ―毎日」も多く、曜日に無関係な自由時間が取れる。それと我が家が東寺南門前、つまり毎月21日の東寺の縁日・弘法さん(曜日無関係)が結び付くとどうなるか?そう、ここで富田亭オープンとなる。昼間三々五々の来訪。それも弘法さんで買った食べ物でワイワイガヤガヤ。私が準備するのは(おちゃけ)飲物だけ。
かくして3月の第一回は10数人の来客だった。事前にこの数が見込まれたので、私は海鮮カレーを振舞った。会員の来客もお世辞にも「不味い」とは言えなかったろう。ここも会費1,000円。
出かける店が無くなった分、人を寄せる場を自分で作ったわけだ。
さあ~、4月は何作ろう。敢えて言うが、楽しみは飲食でなく、交流からの学び合いだ。
一軒目は、京都駅八条口(新幹線口)から少し南に行った店。9年前妻が逝った後、新婚当時のアパートの思い出に浸りつつ、その近所を歩いていて偶然見つけた
カウンター6席とテーブル1席のこじんまり、母子でやっていて落ち着ける店だった。
しかし場所が場所、と言ってもお分かりだろうか。かねてからの京都駅周辺のホテル建設ラッシュ、地価・家賃高騰、競合店の乱立で、こんな地味な店は流れに翻弄されひとたまりもない。最近では北陸新幹線延伸に関わる京都新駅候補地とやらでの更なる騒動で、付近を怪しげな会社、人物の往来で物騒になり、昨年6月ダウン。
もう1軒は小欄第一部362回の店、腕の良い板前と気の良い嫁さんでファンも多かったが、客の財布のひもがどんどん固くなるこのご時世、坊主の日々が続き、16年間よく頑張った若夫婦だったが、この3月でダウン。
夕方の楽しみが二つ減った。さてどうする?
ならば我が家に人を寄せよう、小欄の二つの特設ページを我が家に寄せようとの発想だ。
昨年6月日本ベトナム友好協会京都支部(略称 日べト京都)事務所は、組織・財政困窮で事務所経費は出ない。結果事務所は我が家になった。つまり、月1回の役員会は我が家でやる。おっさん達が夕方~夜会議やって、終われば「ハイ、サヨナラ」となる訳がない。外では時間も金ももったいないとなれば、会議終了間際に準備した食材に火を入れたりで、間髪入れずの宴会へ早変わり。それでも約束事は一つ。会議を引きづらない。つまり責任ある議題から無責任な井戸端話題に変える事だ。基本メニューだけ私が準備するので、この頃から今号の冒頭タイトルを使うようになった。会費は1,000円。
そして、もう一つの特設ページに発展する。
既報の様に昨秋から5割増しの「腑抜けNO会」新入会員。とにかく早く顔と名前、人柄をを掴む必要性と、会員も年金生活者、「サンデ―毎日」も多く、曜日に無関係な自由時間が取れる。それと我が家が東寺南門前、つまり毎月21日の東寺の縁日・弘法さん(曜日無関係)が結び付くとどうなるか?そう、ここで富田亭オープンとなる。昼間三々五々の来訪。それも弘法さんで買った食べ物でワイワイガヤガヤ。私が準備するのは(おちゃけ)飲物だけ。
かくして3月の第一回は10数人の来客だった。事前にこの数が見込まれたので、私は海鮮カレーを振舞った。会員の来客もお世辞にも「不味い」とは言えなかったろう。ここも会費1,000円。
出かける店が無くなった分、人を寄せる場を自分で作ったわけだ。
さあ~、4月は何作ろう。敢えて言うが、楽しみは飲食でなく、交流からの学び合いだ。
2025.04.01 更新
第198回 信じる者は救われるか
この3月は、失墜と失望の二つの言葉が頭をよぎった。」
まず失墜。
横綱豊昇龍の事だ。新横綱で迎える大阪場所を前に「何があっても休場しない」と言っていたが、10日目古傷理由に休場した。自分の発言を裏切った訳だ。先場所の優勝決定巴戦始め、数々の気迫あふれる相撲で上り詰めた力士の言葉である。1年前同じ大阪で新入幕優勝果たした尊富士の、大けが翌日の強行出場を知るファンは、番付トップのこの当初の発言を誰しも疑わなかった。そして先場所優勝後の横綱審議会は、異論もなく満場一致で豊昇龍を横綱に推薦した。そして今回の休場報で「実力伴っていない」「早すぎた。もう一場所見てから」とネット上賑やか。先場所後、相撲協会の新横綱待望は露骨な興行主の本性が見え隠れした。今秋のロンドン巡業に横綱の土俵入りが必要は最たる言。つまり、横綱誕生の責任は相撲協会にある。しかし上述の「…休場しない…」は豊昇龍自身の責任だ。そして忘れてはならないのは、横綱審議委員の「異論なし」。今、委員全員に推薦理由と今回の休場の落差を聞いてみたい。突き詰めれば、豊昇龍と言う才能を、この「満場一致」が潰すことにも繋がる怖さを感じる。
次に失望。
長年政権与党・自民党で冷や飯食ってきた、地方出身の総理大臣・石破茂氏の「10万円商品券」問題。
過疎・高齢化。貧者の思いがわかる総理との思い込みが国民にあったようだ。答弁で「国民感覚と乖離していた」と謝罪した。要は、日本人の主食のコメ始め、怖いほどの物価高にあえぐ国民の生活実態がわからない人がこの国の総理大臣と言う事。その化けの皮がはがれた訳だ。俗に言えば「信じたアンタが馬鹿なのよ」。
そんな嫌な言葉を思い出しつつの3月は救いの言葉も思い出した。
東京ドームでの大リーグ開幕戦。期待通り躍動した大谷翔平。その彼が10数年前、高卒で日本のプロ野球を飛び越しての大リーグ挑戦発言に、野村克也氏は「日本のプロ野球をなめんな」。しかし大谷の日ハム入団からの二刀流活躍に氏は「すいません、私が間違っていました」と率直に詫びた。プロ中のプロが。
この潔い発言には救われた。日々の鍛錬の上で、勝ち負けという単純な結果のみを競うスポーツ関係者はこうでなくっちゃ~。言い訳三昧は政治の世界だけで十分だ。
まず失墜。
横綱豊昇龍の事だ。新横綱で迎える大阪場所を前に「何があっても休場しない」と言っていたが、10日目古傷理由に休場した。自分の発言を裏切った訳だ。先場所の優勝決定巴戦始め、数々の気迫あふれる相撲で上り詰めた力士の言葉である。1年前同じ大阪で新入幕優勝果たした尊富士の、大けが翌日の強行出場を知るファンは、番付トップのこの当初の発言を誰しも疑わなかった。そして先場所優勝後の横綱審議会は、異論もなく満場一致で豊昇龍を横綱に推薦した。そして今回の休場報で「実力伴っていない」「早すぎた。もう一場所見てから」とネット上賑やか。先場所後、相撲協会の新横綱待望は露骨な興行主の本性が見え隠れした。今秋のロンドン巡業に横綱の土俵入りが必要は最たる言。つまり、横綱誕生の責任は相撲協会にある。しかし上述の「…休場しない…」は豊昇龍自身の責任だ。そして忘れてはならないのは、横綱審議委員の「異論なし」。今、委員全員に推薦理由と今回の休場の落差を聞いてみたい。突き詰めれば、豊昇龍と言う才能を、この「満場一致」が潰すことにも繋がる怖さを感じる。
次に失望。
長年政権与党・自民党で冷や飯食ってきた、地方出身の総理大臣・石破茂氏の「10万円商品券」問題。
過疎・高齢化。貧者の思いがわかる総理との思い込みが国民にあったようだ。答弁で「国民感覚と乖離していた」と謝罪した。要は、日本人の主食のコメ始め、怖いほどの物価高にあえぐ国民の生活実態がわからない人がこの国の総理大臣と言う事。その化けの皮がはがれた訳だ。俗に言えば「信じたアンタが馬鹿なのよ」。
そんな嫌な言葉を思い出しつつの3月は救いの言葉も思い出した。
東京ドームでの大リーグ開幕戦。期待通り躍動した大谷翔平。その彼が10数年前、高卒で日本のプロ野球を飛び越しての大リーグ挑戦発言に、野村克也氏は「日本のプロ野球をなめんな」。しかし大谷の日ハム入団からの二刀流活躍に氏は「すいません、私が間違っていました」と率直に詫びた。プロ中のプロが。
この潔い発言には救われた。日々の鍛錬の上で、勝ち負けという単純な結果のみを競うスポーツ関係者はこうでなくっちゃ~。言い訳三昧は政治の世界だけで十分だ。




