2024.09.02 更新
第184回 続・パリ五輪
 7月中旬からの大相撲名古屋場所~パリ五輪~甲子園の高校野球と、暑い熱いスポーツの熱気が過ぎ去ったようだが、この機会に思い起こすこともある。
 私の出身高校は、創立120余年になるが甲子園に全く縁がない。
校舎・グラウンド全てを早稲田佐賀学園に意味不明で譲渡したのが2010年で、そのわずか7年後にはこの新設私立校は甲子園に出場したのである。同じグラウンドで練習していて甲子園無縁の120年とわずか7年で甲子園、この差な何なのかと愕然とする。
 
 それでも、この県立母校から唯一の五輪選手がいる。それも何と銀メダルだ。
重由美子。1965年生まれだから私より15歳後輩、1996年アトランタ五輪で日本初の470級ヨットで銀メダル。この96年夏は、妻が倒れて数ヶ月後で、病院を転院していた頃で、田舎の母親から妻の病状の見舞いに続けて、重さん銀メダルで沸く田舎の様子だった。単に出身高卒だけでなく、唐津市が生んだヒロイン、今のパブリックビューイング張りであったろう。続く2000年シドニー五輪も出場。しかし2018年病で53歳の若さで急逝。奇しくも今回のパリ五輪同種目で銀メダルの岡田奎樹さんは、重さん(唐津東高)の指導仰ぐため福岡から唐津西高へ、名称は佐賀県ヨットハーバー・玄海セーリングクラブと言い、当時の西高の傍の海で練習していた間柄。おまけだが、最新の唐津東高同窓会名簿を見ると、重さんの住所は、私の実家から歩いて5~6分の所だったのには更に驚いた。
 
 唐津の海で鍛えた、28年ぶりの師弟関係の同種目同メダル。
こうなると、73歳の老体も元気をもらう。前々号の「日べト特設ページ」に記載したように、琵琶湖遊泳も調子よかったので久しぶりに50mプールへ。(一部「千代野ノート」252回参照)数年前のコロナ騒動のさなか、近隣のプール(25ḿ)が閉鎖され、この2~3年プールはご無沙汰していた。

 さて出かけたのは、娘が今でも週1~2回勤務している、西京極・京都アクアリーナ。
西京極とは、冬の高校駅伝、女子駅伝の発着地点。一帯には武道館などもあり、京都のスポーツの聖地とも言えるゾーンで、公認なので、陸上・水泳とも日本・世界のメダリストたちの練習場でもある。
 そのプール、50m×10レーンで、1~5レーンは一般用。6~10レーンは中高校生クラブなどのセミプロ用。この1~5レーンも良くしたもので、手前の1レーンから順に初級の初級、初球の中級、初球の上級と、プールスタッフに言われずとも、阿吽の呼吸で仕訳けられている。つまりレーン毎、ほぼ同じスピードのスイマーが泳いでいる訳だ。
 16年ぶりの50m、やはり50ḿは長い。それでもゴールタッチして一息入れて数回往復。
気分だけはオリンピアード。ゴールして逆向いて電光掲示板見る真似事もしてみる。
さて、ビックリしたのは隣のプール。昔のシンクロナイズスイミング、2~3人の選手の演技にコーチのハンドマイクの厳しい声。それでもさほど驚かないが、まさにビックリは初めて見る高飛び込みの練習。10mと言うから5F建物から真っ逆さまの落ちる。TVで見ても怖いに、今、目の前で。この人たちには高所恐怖症って感覚ってないのかしら。上述の初級の初級スイマー達が泳ぐの止めて、プールサイドで俄然見つめて驚嘆の声しきり。
 
 73歳の16年ぶりの50mに喜んでいる場合でない。故郷の後輩たちの28年ぶりのヨットでの快挙。そして目の前の高飛び込みと、様々な年代の様々な水との挑戦があるもんだ。
2024.08.13 更新
第183回 パリ五輪
 本題の前に、名古屋場所照ノ富士優勝パレードには参った。普通、優勝力士と旗手力士の二人のパレード車なのに、その真ん中に割って入る「裏金親分の一人」、普通はまだ謹慎の身と思えるが、この方の感覚には恐れ入る。
後日の朝日新聞川柳欄「萩生田氏マンションよりも富士の邪魔」、これには座布団三枚。
「マンション」を入れての世相反映が絶妙。
これで終わりかと思いきや、公設秘書給与詐取疑惑の女性国会議員さん、ちょうど1年前パリ・エッフェル塔観光旅行写真、その後は不倫事件で家族と世の中に謝罪の経歴の持主。聞けば、不倫先のホテルから国会に直行だったと…。
 さて、パリ五輪。
 第一は、いつも言われる貧富の不公平。
シューズが買えない、競技道具が買えない、練習施設がない、コーチがいない。
春の選抜高校野球ですら、「雪国は冬、練習がままならぬ」と友情と連帯の声が未成年の球児からでも挙がるのに…。「悔しかったら国力つけろ」と言う大人の論理が平然と通る。
今回、ましてやウクライナなど練習どころない戦火の中からの参加も多いと言うのに…。
 第二は、「ガンバレ日本、チャチャチャ」。
国際大会、昨春のWBCや、ラグビー・サッカーのワールドカップの選手の国籍条項が不明瞭。少し調べても、競技ごとに帰化、親権部分が違う。選手が全て日本人なのか?外国人がいても日本チームなのか?ガンバレチャチャグッズの人たちより、それを伝えるメディアは、「ガンバレ日本」の意味を解説して欲しい。
 と、ここまでひねくれ者の遠吠えみたいだが、下記は何とかしないと文字通り命取り。
何故、五輪は真夏なのか?定説は、最大のスポンサーのアメリカのTV局都合と言われて久しい。エアコン効いた部屋で、ビールでも飲みながらスポーツを楽しむアメリカ人々のために、映像の向こうに、厳しい練習を積み重ねてきた選手がいる。大昔の黒人同士の決闘に、金を賭けた白人の人種的傲慢さが思い出される。加えて今回の舞台は、花の都パリ。開会式の船上パレードは許せるとしても、トライアスロンを、レース前日も水質検査をせざる得ないセーヌ川でやるか?!案の定、競技直後嘔吐し入院選手がいたという。こうなってくると拷問である。

 震災関連死と言う言葉があるが五輪関連死と言う言葉も近々出てこよう。
事実我が国には根拠がある。
1964年東京五輪男子マラソン、ゴール直前の満員の国立競技場、天皇陛下の前で抜かれた自衛隊員選手・円谷幸吉。「父上様、母上様、幸吉はもう走れません」と遺書を残し、次のメキシコ五輪前に自刃した。
 今は、姿形が見えぬSNSの嵐「国税使ってメダルも取れんのか!」。選手は帰国の空港で怯え、消えていく。
 選手たちは、一体誰と戦わされているのだろう…。
2024.08.01 更新
朝乃山
 この7月名古屋場所の4日目、朝乃山の土俵上の怪我をTV生中継で見ていた。
押し倒された後立ち上がれず、車いすで退場。何せ、左膝が逆に折れ曲がっている。病名は左膝前十字靭帯断裂、左膝内側側副靭帯損傷、左大腿骨骨座礁。聞いただけでも恐ろしい。

 朝乃山。コロナ禍の大関時代、規範に反し6場所(1年間)出場停止で三段目まで番付落としやっと戻った幕内でも怪我続きで、直近は先場所巡業で右膝炒め休場。満を持しての今場所は、3日目まで全勝。そしてこの4日目のアクシデント。
コロナ禍までは次の日本人横綱候補、あのトランプ(当時)大統領から土俵上で表彰と、期待を一身に受けていたが…。
完治まで半年かかるらしい。それから稽古に励んでもその時の予想番付は再び三段目。右膝と今回の左膝と両膝を負傷している訳だ。一般人でも歩行困難なのにプロの格闘技にはきつすぎる。
 TV見ていて私は、直感的に力士を辞めるのではないかと思った。年寄株はまだなので引退でなく廃業。肉体的回復の前に、気持ちが続かないだろう。照ノ富士,若隆景、宇良と怪我で三段目、序二段と下がって復帰した力士はいるが、朝の山は現在30歳で二度目のアクシデント。再び這い上がってくる気力があるか…。難しいと思う。

 力士の怪我。
かねてから、土俵をもっと低く、土俵下四方を広くしてマットを引くなどの改善策のあれこれが相撲ファンからは多く寄せられているが、改善の兆しは全くない。一番は、公傷制度導入だろう。土俵と言う仕事場での怪我、一般社会で言う労働災害補償。つまり、怪我する前の待遇保証=番付保証=給与保証である。番付落ちたら自分の力で這い上がってこいでは惨すぎる。幕下からは無給である。「怪我は稽古で直せ。自分たちの時代はそうだった」、とにかく意味不明、時代錯誤の弁。挙句は「かっての公傷制度時代、悪用する力士がいた」…。

 現実を見て見よ。ほとんどの力士が怪我を抱えつつの本場所だ。治療専念のため、休みたくも保証がないから休めない。ある幕内力士が言っていた「関取のほぼ全員が、障碍者手帳持っている…。
200キロ前後の牛の様な体格だが、病人であり、障碍者の、必死の土俵を我々は気楽にTVで見ている訳だ。

 自分たちの属する組織が自分たちを守ってくれない。と、なると人間自分で自分を守るしかない。以前カド番脱出の翌日休場した大関がいた。ことほど左様な事が起こってくる。
そしてついには、星の貸し借りへ発展する。立ち合いの一瞬の変化や、満身創痍の身でありながら一気の寄りという決まり手の出来レースで。その勝負に、NHKアナウンサー,解説者がどんな美辞麗句を並べ勝者、敗者がサバサバした顔していても、TV生中継の土俵は正直、何でもお見通しだ。
 これらを、見て見ぬふりする土俵下の5人の勝負審判や、相撲協会の偉い人たちは、現役力士を:人生の特俵:まで追い込む資格はない。
2024.07.16 更新
第181回 唐津郷土史
 今春、故郷・唐津の同窓の事がふと気になって、その辺の情報に詳しい、神戸・須磨に住む同期生にTELした。その中で彼女は今夏帰省して、「墓と歌碑掃除する」と。私「カヒって歌碑…?何それ」。彼女「5~60年前、父が近所の神社に頼まれて歌碑を書いた。それは源氏物語22帖の玉鬘の中の一節らしい…」。私、「源氏物語って、今NHKの大河の…玉蔓…?」。浅薄の身にはついていけない。とは言え、当の彼女も「…どうもそうらしい…」。

 その神社とやらにもTELして「玉鬘」を調べた。光源氏が左遷された菅原道真に送った歌や、玉蔓は肥前の国・唐津で生を受け、その美貌で土地の豪族からのも求婚を受け続け、其れが嫌で、早く京へ上りたいと光源氏に文を送り続けていたようだ。
 へえ~、事の真相はわからないが、22帖は故郷・唐津が舞台だと言う事はわかった。
それから1ヶ月位して、京都文化博物館の一角の和紙店で、源氏物語全54帖の代表歌が色紙になっているのを見つけた。色紙と言ってもタテ40ミリ×ヨコ90ミリの横長変形で、額がない。仕方なく厚手の白紙買って、素人ながらビニール張りにした。
急いで、須磨の彼女にTEL「渡したいものがある。近日神戸で会おう」。外側を新聞紙でがんじがらめにしてJRで運んだ。出会ったJR新長田駅でその中身を告げた瞬間、彼女の驚きようはなかった。

 本稿はこれが前半。まだ後半がある。これだから世の中面白い。
それから1~2週間後、ある会合で故郷の名前が姓の人を名簿で見つけた。休憩時間にその人にその事告げると、何と「長崎が実家の旦那の姓で、昔『天草の乱』で唐津藩からの重税で苦しめられ、その税で唐津の『虹の松原』の植林が進んだと聞いています。」私はその場では静かに聞いていたが、心地良くなかった。唐津の人間や我々「故郷は遠くにありで想うもの」の自慢は、昔も今も唐津曳山と日本三大松原と言われる虹ノ松原の二つだけ。その一つが当時の隣国への圧政・重税の結果と聞かされたら堪ったもんじゃない。これも、故郷の関係機関へもTELして即調べた。結果はどうも黒。重ねて上述の須磨の彼女は、父上の資料とやらを調べて、「末蘆国」(松浦国)とかの郷土史を引っ張り出して、「天草の乱と唐津藩」の項を見つけ出し、私に膨大な資料送ってきた。
 御国自慢でも、史実は認めねばならぬ。

これらの話は、20歳まで故郷の時分には、全く知らなかった。小学・中学・高校のどの先生や、地元の関係者誰一人からも聞いていなかった。
ああ~、やはり「故郷は遠くにありて想うもの」なのか…?
2024.07.01 更新
第180回 「関心領域」
 この国で、この映画の事をコメントするにふさわしいと思い、久しぶりにTELした。
それは、福島県白河にあるアウシュヴィッツ平和博物館。(小欄一部191回192回)館長「ここは田舎で映画館が無いのでまだ観ていない」と。
 その点では、まだ京都の方が恵まれてると思い、翌日観に行った。ネットや映画論評で大方の予測は出来、映画自身はその範囲だったが、驚いたのはこの映画館、言われる独立系・アート系で、大手配給作品でないので、作品が良くてもいつもガラガラ。それが何と!160席の大半が埋まっている。初めての事だ。まだまだ日本の映画ファンも捨てたものでないと実感。
 それにしてもこの和訳はピカ一だ。そもそもナチスは収容所一帯をこう呼んでいたと言うが、今日的には新語だと思う。恐らく今後、社会運動的にはこの言葉は使われていくだろう。つまり真逆の「無関心領域」と共に。

 映画はほぼ史実だから怖い。アウシュヴィッツ収容所所長一家の優雅な生活は、塀一つ隔て、まもなく虐殺される囚人の毛皮のコート、口紅、金歯が持ち込まれる…。壁の中では連日悲鳴、銃声。遺体の黒煙が上がるのがこの一家からも見えるが、全く無関心の世界。この異常は恐怖を通り越し、人間は他人の痛みに気づかぬふりして生きているのかもしれないという問いかけには戦慄しかない。この夫の配転の命令が下ると、妻は激しく抵抗する。安全圏での裕福な暮らしをそう簡単に手放そうとしない人間の性。
 他人の痛みを感じない。気づかぬふりをする。関心を持たない。聞き流す。何も考えない。
…段々と恐ろしくなる。

 元日の能登地震。石川県の農業・漁業・観光業などで経済の下支えをしているベトナム始め外国人労働者も当然被災している。地震は国籍選ばない。メディアは日本人の被災状況は伝えるが、外国人被災者情報はほぼ皆無。5ヶ月経った今も実態すら不明。それは行政担当の出入国在留管理庁が、「本来の仕事していない」(野党国会議員談)
平時、能登の町々では日本人と外国人労働者の暮らしの助け合い=共生が進んでいると言うのに…。更に言えば、日本人が嫌がる昔で言う「3K職場」は今、安価でも劣悪でも良しとする、外国人労働者で成り立っている。しかしこれが今後も続くのだろうか?つまり日本に来る、特にアジア労働者が来なくなったらどうなる。送り出す国が国策として、日本でなく他国を選び出したらどうなる?迎えるこの国は少子高齢化が世界的にも顕著。つまりこの国の底辺の労働市場は地震でないが、すでにぐらつき始め、その予兆は少しづつ見えてきている。
 人様の労苦で一部の裕福が保たれる時代ではないのだ。その無関心は数倍返しでやってくる。

…なので、今回のこのタイトルの問うものは大きい。
能登だけでなく、我々の身近な暮らしの様々な場面で、この「無関心」に出くわす。
人間はそれだけ尊大になったか、他人の痛み苦しみが想像できぬか?!
そして、この「無関心」は見過ごせば、その結果で得をする連中の思う壺になるのを忘れてはならない。つまり無関心から関心に転換さす努力がいるのが、厄介だがやるしかない。
 つまり人間社会の幸不幸は紙一重。気づいた者が、まず一人から警鐘鳴らすしかない。
古今東西幾多の歴史がそう教えている。
「ムービー軌跡」
千代野基金

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