2024.06.15 更新
第179回 15秒の才能
 缶コーヒー BOSSの話(175回)の続編になろう。
その前に一言。10分の演説と3分の演説はどちらが難しいか?論点を明確に、数値人名はフル表現で正確に、同じ文言を繰り返さないなど、細かなチェックが必要となる。だから原稿作成は必至。ましてやその目的に、商品の購買意欲をかき立たせる要素が加わるとなると至難の業。短いとはそういう事だ。

 その典型は15秒のTVCM。
缶コーヒーBOOSとの双璧CMはサントリーオールドウイスキーだ。
ストーリー+俳優の味+購買押し付け一切なしがしっかり守られている。このCMソングの作詞曲そして歌は小林亞星で、曲名は「夜が来た」。好感持てるシリーズは、國村隼の「父娘シリーズ」、長塚京三、田中裕子の「恋は遠い花火でないシリーズ」物だろうが、アッピール力は開高健と倉本聰が、これも双璧。前者は一時サントリー社員だったこともあるがアラスカ、ニューヨークでの釣り人。後者は北海道、四万十など、自然の雄大さと人間の愚かさを生涯のテーマにして、自然と戯れる「大人の少年」と言うフレーズを作り出し、ご存知名作TVドラマ「北の国から」を生み出し、現在もその北海道・富良野への外国観光客のオーバーツーリズムで警鐘を鳴らしている。

そんな時、関西で「浪花のモーツアルト」こと、作曲家キダタローさんが亡くなった。
TV番組テーマ曲「プロポーズ大作戦」、「ラブアタック」など、そしてCM曲「かに道楽」、「551蓬莱」、「日清チキンラーメン」、「日清出前一丁」など、関西人の食生活の中に軽やかな音楽が息づいていた。これら名曲の条件は「聞いた人が商品を『ぼんやりとしか知らない』が、メロディーは『明確に覚えている』と、矛盾したこの二つを兼備したのが、インパクト抜群で良いCMソング」と、本人の弁。
 今、JR大阪駅環状線発着の曲は、やしきたかじんの「やっぱ好きやねん」と大阪愛の曲だが、先述した関西企業、関西放送局番組にこれだけ貢献したこの人の曲を、メドレーにして流すのも悪くない。大阪万博関係者がしたり顔で提案する前に。
2024.06.15 更新
腑抜けNo会ニュースNo.31

2024.06.15 10:01 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
2024.06.15 更新
京都支部事務所移転ハガキ
事務所移転はがき

 何か見たような光景と地図、聞いたような住所…。誰かの居宅かな。
 京都市内の事務所家賃高騰が一番の原因で、二番目には組織財政が伴わないからです。追い打ちかけて、今秋からは切手代も値上げとも。
 知己な歴史学者曰く「文字を覚える、書けるという識字率が上がるのを時の権力者は嫌がった。つまり国民が賢くなる、共に考え組織を作るなどもってのほか。更にそれらの情報を伝えるなどを妨害した。今回の郵便切手代の値上げもそれだ。」
そんな大袈裟に言わなくても思うが…。
上述の学者に反して、世の中は妙味と言うか良くしたものだ。普通、居住者は、自分の住まいの一室が事務所になるのを嫌がるが、この独り身の居住者「自宅で宴会出来て歓迎」と、少し変わり種。更に数日後に、「何?あの家にまた人が集まるのか、何をやるつもりか?」と、訝る人もいるとか…。
2024.06.01 更新
第178回 赤信号
 土曜日の早朝7:30頃、自宅から表通りに出てすぐの東寺前信号の交差点、「トミタさんでは?」と声かけられて、声の方向に顔を向けると…。
「エエッ!」とこちらは絶句、先方は先に私をかすかに認知して、こちらの反応で間違いないないと確信に変わり、先に笑顔。こちらは朧気に先方の顔を認知するが、10数年前の記憶と即一致せず、ぼんやりと怪訝な顔をしていただろう。とにかく目の前の視覚と、頭の中の記憶がすぐには一致しない。先方との差は1~2秒。
 1~2秒早い先方は、何故ここにいるか説明しようとするが、こちらはまず先方の名前だけ思い出した状態。とにかく頭の回転が1~2秒遅れている。「何でここにいるの?」に、先方はキチンと説明しているが、まだ解せない。当然だ。本来ここにいるはずない人が目の前にいるんだもの。

 加えて信号待ちの交差点、赤と青の表示の違いでは、その場で対面できなかったろう、私は左手から、彼は右手から信号に差し掛かり、青だとそのまま両者とも何食わぬ顔で信号を渡っていただろう、お互いを知らずに。赤信号だったからそのわずかの待ち時間に、彼は周りを見渡し、私を発見した訳だ。そう考えるとドラマチック。何せ日本から3,600キロのベトナム・異国に住んでいる旧友・ブー君だ。(第一部「千代野ノート」260回=2008年=16年前)
信号渡りながらも私は「ああ~、わわ~、ふぁふぁ~」の連続で言葉になっていない。彼は、一緒の数人のベトナム観光客に東寺南門前を指図している。
 それでも彼は「トミタさん、この辺住んでるの?」。そう、彼は私が京都在住は知っていたようだが、東寺前とは知る由もない。「そう、あの銀行の裏」と私が指さす。「へえ、南門前やんか」と関西弁で応える。この後新幹線で富士山へ向かうと言う。すかさず彼はスマホで写真撮った。それでも添乗員だったので、客の対応でその場で別れざるをえなかった。
彼の後ろ姿を見つつ、10数年ぶりの記憶が少しづつ戻ってきたが、もう遅い。

 そして一言忘れた。それは私の左腕に握った新聞紙束の中の花の事。
これから妻の墓参りだったんだ。そうだ、彼も10数前この京都で妻とも会っていたんだ。


「写真撮りましょう」との彼(左)のとっさの機転で

2024.06.01 更新
新シリーズ 「健康法・生きがい」その2

その2  健康法は、自然体で



 73年間ずっと自然体の体だ。
中学高校で特にスポーツはやっていなかった。大学と言っても「学生生活」は全くなかった。普通勤労学生と言えば美談みたいだが、実の所販売店の奴隷の様な生活だった。朝夕の配達から集金、拡張を強いられ、とても学校に行く時間がない。体がついていかない。その気力もなくなる。販売店辞めたら、学費請求が来る。4年間の新聞店労務と学費免状がバーターになっている新聞奨学生制度。逃げるに逃げられない。勿論故郷にも戻れない。体力以前に精神不安定、ノイローゼが周りに出てくる。店の専業員から始まって給料遅配から無配は、奨学生にも及ぶ。集金持ち逃げ、失踪の繰り返し。挙句の果てに店主家族の夜逃げ。我々学生は取り残された。その中で私は学生の最年長。結果、店の切り盛り役になってしまった。新聞発行元は「新聞社と販売店は別会社」と、何の援助もしない。体より精神が参ってくる。勿論真面なものは食っていない。早々と酒を覚える。しかしそこで止まったから良かった。煙草は吸っていない。生まれてからこの体(肺)に、一服たりとも煙草は入っていない。

 「学生でない学生」の4年間は終わり、早朝の新聞配達で知り合った千代野さんとの結婚は学生の分際だった。以降、広告会社20年、旅行会社30年。三人の子供に恵まれての結婚24年目=1996年、妻が倒れる。以降20年間の介護生活。つまり私は健常な妻と24年間、障害持った妻と20年間過ごしてきた。学生時代同様この夫婦間も稀有な体験してきた訳だ。

 先に自然体と言った。何かをやる自由な時間とお金がなかった青年期。だから、道具に金かかかる野球などはダメ。なので結婚後、徐々に自然体で体を動かす事になる。30歳過ぎから走る事になる。ホノルルマラソンなどフルマラソンも幾度も走ったが、腰痛で今度は泳ぐ事。16年前まで泳ぎは1500mもやれた。(拙ブログ「千代野ノート」252回参照

 73歳の今、季節ごとの眼と歯の定期検診のみで、健康サプリなども体には一切入っていない。自然な体作りと、自然な生き方、それらを伸ばし、妨げる物にはキチンと対応する生き方は今後も続く。天国に行って悔やんでも仕方ないから。
2024.06.01 10:01 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
「ムービー軌跡」
千代野基金

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