2025.05.15 更新
第201回 新聞と半世紀
 特設ページ・腑抜けNO会員で、地元・京都新聞読者欄の投稿常連さんが複数になった。そこでこのGW中私含め3人で懇談の場を持った。下記は私の話題提供。

50年間の劇的変化~新聞を配っていた時代

1971年(54年前)当時は各紙(京都、朝日、毎日、読売)専売店があり、配達、集金、
拡張の競争時代。
そして50年経た今…、まず「毎日」を「朝日」販売店が配り出し、その「朝日」をも、「京都」販売店が配っている。つまり、「毎日」、「朝日」専売店が消滅。なので、「京都」配達員は一般紙三紙とその関連スポーツ紙、業界紙一緒に現在配っている。バイク、自転車配達籠の中は、各紙毎小分類され「無茶苦茶大変」と配達員は言っている。つまり単純労働の新聞配達が、複雑、頭を使う仕事になってきた訳だ。今、京都地域の配達は、この「京都」グループと「読売」グループに二分類。

広告制作~新聞を作っていた時代

新聞配達と言う末端から、新聞製作と言う先端へ。(1976~1993年)
新聞記事の下の広告紙面部分を業としていた。一般的な営業広告、求人広告、死亡広告、
選挙広告などの臨時広告、意見広告など営業臨時広告と様々で、その分類で広告料金が違う。つまり利益率が違う。この辺りは素人にはわからない。だから広告人がどの分野で血眼になって営業しているか不思議に思われるはずだ。

投稿~新聞読者として声(意見)表明

1996年、妻が倒れてからの意見表明の場として活用。
この手法で、同境遇に方々と多く知り合い、妻が逝った第二ステージの「腑抜けNO会」でも活用。

記事~掲載される時代

これは上述の投稿時期と関連しつつ、「仕事と介護の両立」、「男性介護」、「伴侶亡くした会」として、その珍しさから各紙の取材対象・報道となり、今に至っている。

 以上、新聞を配る、作る、書く、書かれる50数年だった。

そして今新聞は…

 新聞(紙媒体)自身の存亡(対SNS)で、消滅はしないが希少媒体になり、個別配達出来なくなり、やがて駅売りのみに、そして高額になるだろう。
それは既に同じ紙媒体の雑誌、出版から撤退が始まるっている。更にソフトの富士通などとハードの大王製紙などが新聞製作から撤退し始め、全国紙、ブロック紙も過疎地から、夕刊撤退が相次いでいる。そしてこの4月から、京都新聞各行政区切替版が他行政区でも読め、より地域密着型の読者サービスとは表向きでは、実態は「新聞読まない」世帯増、販売低迷対策で、もっと細かな地域情報掘り起こしでの販売戦略だ。
 もっと現実的事例が能登の北國新聞。被災で県外流出の行政情報の何倍かが県外に(一時)移住。これは、役所に住所変更せず一旦県外へ、やがて戻るかもしれないという意思表明だが、元々地震大雨で、読者が地域ごと無くなる、新聞販売店も無くなり、この時点で奥能登など北國新聞専売店は息の根が止まっている。すでに大合理化の兆候が出ているらしい。
 新聞の今後の競争相手は、よく言われるSNSだけでなく、自然災害もその相手になる事を、この災害ニッポンで忘れてはならない。
「ムービー軌跡」
千代野基金

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