2025.04.01 更新
第198回 信じる者は救われるか
 この3月は、失墜と失望の二つの言葉が頭をよぎった。」
 まず失墜。
横綱豊昇龍の事だ。新横綱で迎える大阪場所を前に「何があっても休場しない」と言っていたが、10日目古傷理由に休場した。自分の発言を裏切った訳だ。先場所の優勝決定巴戦始め、数々の気迫あふれる相撲で上り詰めた力士の言葉である。1年前同じ大阪で新入幕優勝果たした尊富士の、大けが翌日の強行出場を知るファンは、番付トップのこの当初の発言を誰しも疑わなかった。そして先場所優勝後の横綱審議会は、異論もなく満場一致で豊昇龍を横綱に推薦した。そして今回の休場報で「実力伴っていない」「早すぎた。もう一場所見てから」とネット上賑やか。先場所後、相撲協会の新横綱待望は露骨な興行主の本性が見え隠れした。今秋のロンドン巡業に横綱の土俵入りが必要は最たる言。つまり、横綱誕生の責任は相撲協会にある。しかし上述の「…休場しない…」は豊昇龍自身の責任だ。そして忘れてはならないのは、横綱審議委員の「異論なし」。今、委員全員に推薦理由と今回の休場の落差を聞いてみたい。突き詰めれば、豊昇龍と言う才能を、この「満場一致」が潰すことにも繋がる怖さを感じる。

 次に失望。
長年政権与党・自民党で冷や飯食ってきた、地方出身の総理大臣・石破茂氏の「10万円商品券」問題。
過疎・高齢化。貧者の思いがわかる総理との思い込みが国民にあったようだ。答弁で「国民感覚と乖離していた」と謝罪した。要は、日本人の主食のコメ始め、怖いほどの物価高にあえぐ国民の生活実態がわからない人がこの国の総理大臣と言う事。その化けの皮がはがれた訳だ。俗に言えば「信じたアンタが馬鹿なのよ」。

 そんな嫌な言葉を思い出しつつの3月は救いの言葉も思い出した。
東京ドームでの大リーグ開幕戦。期待通り躍動した大谷翔平。その彼が10数年前、高卒で日本のプロ野球を飛び越しての大リーグ挑戦発言に、野村克也氏は「日本のプロ野球をなめんな」。しかし大谷の日ハム入団からの二刀流活躍に氏は「すいません、私が間違っていました」と率直に詫びた。プロ中のプロが。
 この潔い発言には救われた。日々の鍛錬の上で、勝ち負けという単純な結果のみを競うスポーツ関係者はこうでなくっちゃ~。言い訳三昧は政治の世界だけで十分だ。
2025.03.17 更新
第197回 映画「月光の夏」
 終戦前後の事が気になりYoutubeを見ていて,高倉健主演映画「ホタル」から、いつものように画面が飛んで映画「月光の夏」に変わった。1993年の史実に基づく懐かしい映画。
1994年神戸の旅行会社へは、「障碍者と共に平和に向かって走ろう・ホノルルマラソン」を92~95年まで4年間の企画実績を引っ提げての入社だった。(96年妻倒れて断念)それで、94年入社1年目の秋、この映画と史実を深く知り、何か企画が出来ないかと鳥栖に赴いた。対応していただいたのは地元の女性実業家のこの企画の中心メンバーで、神戸の旅行社からというより、故郷が同じ佐賀県と言う事ですぐに親近感をもっていただいた。

 終戦の1~2月前、鹿児島・知覧の特攻基地に移送される前日、音楽学校生とその友の二人は、目達原基地(現在の佐賀県・吉野ケ里)から鳥栖小学校にグランドピアノがあることを知り、死ぬ前にピアノを弾きたいと、線路伝いに20数キロを歩いて小学校まで必死の思いて訪れた。必死の思いとは基地門限は当然にしても、特攻直前にピアノを弾くためという理由は、表立って言える事ではなかった。突然の訪問に驚く女性の音楽教師、偶然あった譜面の「月光」を懸命に弾く音楽学校生と、譜面めくる友。数日後この二人は知覧から沖縄のアメリカ軍艦へ特攻。
 しかし、歴史の歯車はここから新しい展開を生み出す。
音楽学校生は、見事かどうかわからないが、沖縄の海の藻屑に。
だが、譜面をめくっていたもう一人は、機体トラブルで突撃任務果たせず、知覧基地に引き返す。特攻は敵艦めがけて突っ込むのが任務。生きて帰ることは出来ないのだ。しかし生きて帰った。卑怯者、臆病者、日本軍人の恥…。福岡にあったとされるそうした生存特攻兵の寮での陰湿な地獄の,日々。「今度は見事に死にます」「もう一度(まともな)飛行機に乗せてくれ」との叫び…。
それは8月の終戦後何年も続く。要は、戦記に記され死んだ兵士が、生きていてはいけないのだ。この映画の重い、そして特攻の裏側を描いた数少ない描写。冒頭の「ホタル」は朝鮮人特攻兵だが、この映画は特攻出来なかった兵士の苦悩の物語。私も2001年妻と訪れた知覧特攻記念館の幾多の若い特攻兵士の裏の顔だ。

 戦後50年近く、生き証人のこの音楽教師の一言から、この話は九州一帯に広がり、ついには長くこの事に口を閉ざしていた生き残った特攻兵士が、その鳥栖小学校でそのグランドピアノの前で音楽教師と再会する。「あの時の特攻兵士です…」に対し、「よく生きておられて…」映画は格好の名優二人、仲代達矢と渡辺美佐子だ。

 そうなのだ、生きていたからこそなのだ。満州開拓団、沖縄戦もしかり。生きていたからこそ史実が語られ、後世に伝えられていくのだ。

 思い出した。94年当時の佐賀県人の私の着想は、特攻兵士二人が歩いた目達原(吉野ケ里)から鳥栖小学校まで、同じ様に20キロ歩き、「月光の夏」演奏を聞くと言う、陳腐なものだったのだ。でも、戦後80年の今、かのグランドピアノは、今も鳥栖で現存している事を再確認したのは30年ぶりの成果だった。

 更に想いを巡らす。絵を描きたかった学徒の想いは、長野の無言館にあるが、音楽(ピアノ)したかった学徒の記録としては、この映画は貴重価値だ。あの時代。文化芸術は軟弱思想・非国民思想と言われていた時代である。それでも、よく記録映像で出てくる東条英機首相の雨の神宮外苑での学徒出陣式、あの幾多の学徒の中には、様々な学術文化を志していた学徒がいただろう。戦争はその全てを奪った。戦争が奪うのは人間の体、つまり物理的な肉体だけでなく、人間が持つ思想をも奪い去る。
 加えて今。支援国と思われていたアメリカ大統領から恫喝され、会談無礼の最低謝罪か筋を通すか、その態度一つに国の命運がかかるまで追い込れてまているゼレンスキー大統領。その悔しさには同情し、心中を察する。80年前も当時者でなく大国の思惑で大戦が終結したが、それが今。再現されようとしている。
2025.03.04 更新
第196回 「アウシュヴィッツ」来訪
 小欄180回の福島‣白河の「アウシュヴィッツ」博物館館長が入洛された。
何でも、立命館大学国際平和ミュージアムでの仕事らしい。それで、寒冷地のかの館は毎年2月は冬季休館で、10数年ぶりの京都の冬を楽しみたいとゆったり日程での来訪。この肩書の方が京都を楽しむと言っても観光はなかろうと、仕事柄しっかり身につくものを時間内で選択した。

 小欄でも紹介した、第一次大戦後のロシア兵捕虜の東福寺・霊雲院にあるロシア兵のバラライカ(ギターみたいなもの。残念ながら訪問日は休館)その道路挟んだ向かいで、第二次大戦直後、解放された朝鮮人が青森から京都・舞鶴経由で朝鮮へ帰国する途中、停泊した舞鶴湾で謎の撃沈、その多くの御霊を弔っている万寿寺。そして少し動いての豊臣秀吉を祀る豊国神社向かいに(秀吉に対置する形)位置し、朝鮮侵略の証拠品としての朝鮮人の耳をそぎ落とした耳塚。最後は京都駅近隣の梅小路公園。ここは広島・長崎に次ぐ原爆投下第三候補の国鉄梅小路機関区跡。今は鉄道博物館になって、扇状格納庫の多くのSLが観光客を喜ばせている。
館長「今まで全く知らなかった」と、熱心にメモ。そりゃそうだ。これだけを京都駅近くの東山区、下京区コースで紹介・解説出来る人は少ない。(私の数少ない自慢の一つ)
市バス内、歩きながらよく語り、よく質問受け,よく答えた。午後2時出発して、夕方5時に終了のちょうど3時間の京都社会運動歴史探訪と言った所か。
歩きながら、特に耳塚辺りは、54年前私の新聞配達エリアでそんな話、市バス内でも車窓の左右の観光名所と共に、様々情報提供でさながら旅の添乗員。喉も体も気分よく疲れた。

鉄道博物館近くの行きつけ飲み屋でのお疲れ様乾杯、
で、福島白河の女性は違う。最初から店主呼んで京都の日本酒銘柄聞いている。こちらは、寒いので早々に小さいビール。どうも最初の一杯から負けている。

 平安時代からの奥州三関で一番有名な白河の関から、現在は東北新幹線~東京~京都の計4時間らしい。
土産話は、来年の同時期(2月)京都で全国平和博物館会議が宇治・ウトロ記念館中心に開催されるとの事。なので今回の入洛は、その準備の一環らしい。と言う事は、どうも来年私にも出番がありそうな気配。酒だけでなく、寒冷地に生きる姿勢でも東北の人に学ばねば。
2025.02.17 更新
第195回 起床時150
 何のことか?起きた時の血圧が高いと医師から指摘されてまもなく1年。
遡るとこうだ。無職なので国民健康保険。つまり在職時の様に年1回の定期健診がなく、2年前の年末、国保の特定疾患予防健診で高血圧の指摘を受けた。更に2回目の同健診が昨春。ここでは保健師さんからの説得力のある指摘もあった。日頃体を動かしているし、食事、睡眠と問題ないのでと自分では大丈夫と思っていた。
特にこの1~2年通っていたプールの閉鎖、改装が続き、昨秋に料金が手ごろなプールも見つかり、ここで週2~3回泳いだ後の計測は110~100位と好調な数値だったのに…。

 血圧計を買った。平時は130位だが、タイトルの様に起床時が高い。先の保健師は通院を勧めたので、昨夏から月1回の検診に通い始めた。そこでの医師も熱心。心電図、血液検査と細かにチェック。通院時血圧検査だけではおぼつかないので、私自身も朝昼晩、スポーツ前後も記録を付け、通院の度に医師に私製の血圧一覧見せていた。

 それで、昨秋出た結論は、「起床時(のみ)が高い」。何故か?その答えは睡眠に問題あり。睡眠時無呼吸症候群の疑い濃厚と相成った。無呼吸状態の睡眠で心臓に負担かかり、朝起きた時高血圧となる。睡眠時無呼吸症候群は、友人知人から過去数件その体験を聞いていたが、全く他人事だった。医師が続けて、「イビキは高いですか?」、「否、独り身なのでわかりません」が決め手で、昨年末病院が提供する機器を一晩装置した。眠りにくい事はなかった。その結果「寝ている時どうも呼吸が何回か飛んでいます」、「えっ」である。
そしてついに年明け一晩入院で本格的検査。夕食済ませて、検査だけで朝起床したら帰って良いとの事。指定の夜7時にその病院へ。よく心電図検診で何本かのチューブが下肢や胸に付けられるが、その比ではない。もっと細長い中チューブが体のあちこちにざっと20~30本、鼻には呼吸器。胸のあたりのチューブはベッドの留脇に繋がれ、動くに動けない。簡易トイレと水が手が届く所に置かれ、装填完了の9時頃この個室は消灯。我が身は拷問部屋状態。朝、目が覚めナースコールして、看護師が装備外したら帰ってよい。その朝一番は5時と言われた。体は動かず、個室が妙に暑苦しい。無呼吸の検査なので眠る必要があるのだが、寝れる訳がない。それでも2時間ばかりは眠ったろうか。朝5時を待った。病院近くのまだ暗い市バスの始発で帰宅。腹立たしいのは、この一晩拷問体験費用は国保2割負担で26,000円なり。素泊まりホテルでも、こんな額には…
 
 そして1ケ月後の検診で担当医「重症です。一晩50回以上呼吸が飛んでます。30回までなら中症ですが」
悲劇は続く。ついに、病院指定の機器を付けて我が家で毎晩計測。この機器とは、ジェット機の操縦士などがつけているようなもので、鼻へビュービュー空気が入って来て、無呼吸対策だとか。少しでも鼻からずれると、口や首が強風で寒くすぐ目が覚める。どうにもこうにもまともに寝付けない。無呼吸検査機器で寝付けなければ本末転倒とも思えるが…。この使用料1日100円で1ヶ月3,000円。
 かくしてその後の検診で担当医「何日か機器が外れている日がありますね~」。(言われなくてもわかっている)寒い夜中、外れかけの機器を直すのも嫌になる。
 敢えて言うが、就寝時無呼吸であの世逝きはなく、起床時の高血圧の原因判明だけだ。
なので、昼間のストレッチ、ウオーク、ラン、スイムをより心がけている。
そう再認識させてくれただけでも良しとするか、あの26,000円と3,000円の支払いが恨めしいが。
2025.02.01 更新
第194回 下駄
 昨年末大晦日の「紅白」で、イルカの「なごり雪」と、南こうせつの「神田川」が評判だったらしい。この二曲と、小欄185回の高石ともや「街」をトータルイメージすると、答えは「下駄」に落ち着くとの独断だ。


 春夏秋冬下駄を履き始めて3年になる。何でそう言えるかというと、冬には五つ指の靴下を3回履いた記憶があるから。人は「寒かろう」と言うが、足先に力が入っているせいか平気だ。写真の下駄ですでに十足位になる。安物は足を乗せる木板=台と、歯が別々の木で出来ているが、高級品は一本木になる。どこが違うか、音が違う。前者は、ただがらんごろんとの響き。後者はカランコロンと乾いた音がする。そして決定的な差は履き続けて歯が擦れていくと、前者は鼻緒辺りから縦に割れてお釈迦になるが、後者は歯が擦り切れて、台がまさしくまな板状態になっても割れない。下駄と言うより板状態で歩ける。と、ここまで言えるのが経験者の強み。そして、写真の下駄は会津の桐一本木と言う高級品。頭からずっと目を落として足元に高級感漂わせてこれで三足目になる。ボロは着てても心(足元)は錦ってところか。梅雨には抜群だ。靴だと靴下共々濡れてどうしようもないが、下駄はその歯の高さ部分で雨除けになり、帰宅して濡れた素足をタオルで拭くだけで良い。いたって衛生的。何と言っても歯の高さ分だけ背が高くなり、格好よく見える(はずだ)。

 そんな格好よりカランコロンの音で、東寺観光の外国人は視線を落とす。音を出す履物は珍しいのだろう。そして我が日本の高齢女性は、バス停などで声をかけてくる。「まあ~下駄だなんて、懐かしい」、「ウチ兄も良く履いていた」、近所の花屋「下駄を履いているお客さんは富田さんともう一人ですわ」。高齢男性は理髪店で「上手く履いてますね」、これは左右の歯の擦れが内側外側が均一な事を言っている。そりゃそうだ、こちらも蟹股の両脚を考え、左右を時に逆にしながら履いている。それでも鼻緒は問題なくすっと足になじむ。
そして嬉しい事には、声かけは若い女性からも。近隣のコンビニバイト、昼下がりで他客いず店がヒマだった事もあり「下駄カッコ良いですね。いつも見てました」と。「いつも見ていました」が、この74歳をくすぐる。
 昔、妻の手を引いて男性介護の姿を示していた東寺のおっちゃんは、今、下駄の音で日本の履物文化を響かせている訳だ。現代の「なごり雪」「神田川」世代にも受けていることもわかった。私と同世代の大分出身の南こうせつは1歳上、そして今回の新発見はイルカさん。エエッ何と!生年月日が全く同じ。これまで月日が同じは数人いたが、年まで同じは初めて。さあ~二人に負けていられない。
「ムービー軌跡」
千代野基金

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