2025.12.01 更新
第214回 コブ
「目の上のたんコブ」とか「コブ付き」とかの言葉は、不要で目障り、もっと言えばない方が良い物の例えで使われる。
そのコブが出来て10数年、数年という曖昧な記憶は、東日本大震災時、緑内症の手術入院時は感じでなかったので、それ以降を指す。孫たちが保育園児の頃、プールの後の風呂場で「じいちゃん、コブあるやん」と、珍しそうに小さな手で触っていた記憶があるので、やはり10年少し前からだろう。部位は、腰の真後ろで背骨の接点で、言い換えればズボンのベルト位置。ベルトの擦りで大きくなった感もある。小さいイボ状態から、れっきとしたコブに膨らんだ。娘も「悪性腫瘍かもしれへんし一度病院行きや」で数年前近くの開業医へ。そこでの紹介状で東福寺近くの大病院へ。その診察は「痛くで我慢できないなら切除しますが」と言う事で、その時点では、急を用する状態でないと診断だった。
そして今何故気になりだしたかというと、就寝時あおむけではこすれて痛い。このままの姿勢ではコブがつぶれて中の膿が出てくるのではないかの不安が大。イスも座り方次第では痛い。加えてほぼ1年になるプール通いで、大鏡で見るとかなり大きいというか、突起物状態で更衣室でどうも変な眼で見られているようだ。
そんな理由で、数年前の大病院へ再診へ出向く。数年前と思っていたら同医師で2年前だった。「大きさは変わりないです。それでもこの大きさなら全身麻酔となりますので、それに体が耐えうるか様々な検査が必要です。手術なら1週間から10日間入院です」。「エッ」と思った。再診前にネットとかで見ると、手術含め切除で即日帰宅とか、入院も2~3日との報を見ていたからだ。どうも脊髄を触れるので全身麻酔の様だ。
何度も検査通院は嫌なので、その日時間的に可能な検査を受けた。とにかく全身麻酔が可能かどうかの全身検査だ。採尿、採血、心電図、X線と続き、驚いたのは肺活量検査もあった。検査が続きそのたいそうな事でこの日の支払いが気になる。結果、74歳2割負担で約6,000円。その1週間後MRI検査。MRI自身は何ていうことないが、その15分位の仰向けになるのが痛い。そこが患部だから。検査技師も「大きいですね。でも少しでも体ずらしたり動いたらダメです。」なので足のふくらはぎに枕みたいの敷いて、少しでも腰浮かし、患部が痛くないよう姿勢は取った。しかしいざ始まると擦れて痛い。「ここは病院だ。万が一患部がつぶれても、一番安全な場所にいる」と納得しつつ終了。この検査だけで会計は4,000円超。検査も痛かったがこちらも痛い。さて最後はこの1週間後の麻酔、現投薬チェック、家族への説明と続く。。
…たかが腰の一部のコブが、体全体、脊髄と全身麻酔と言う問題になってきた。
でもこれさえ切除すれば、外見は問題なし、酒はそれなり飲んでいるのに内臓も異常なし、通院は3ヶ月の1回の眼と歯と月1回の血圧中心の定期健診と、75歳成りたて。「背筋がピンとして、いつも若々しい」(近所の女性)との煽てで気を良くしている、「東寺南門前の下駄オヤジ」。もう少し元気で生きられようか…?ちょっと怖い手術は1月中旬予定。
そのコブが出来て10数年、数年という曖昧な記憶は、東日本大震災時、緑内症の手術入院時は感じでなかったので、それ以降を指す。孫たちが保育園児の頃、プールの後の風呂場で「じいちゃん、コブあるやん」と、珍しそうに小さな手で触っていた記憶があるので、やはり10年少し前からだろう。部位は、腰の真後ろで背骨の接点で、言い換えればズボンのベルト位置。ベルトの擦りで大きくなった感もある。小さいイボ状態から、れっきとしたコブに膨らんだ。娘も「悪性腫瘍かもしれへんし一度病院行きや」で数年前近くの開業医へ。そこでの紹介状で東福寺近くの大病院へ。その診察は「痛くで我慢できないなら切除しますが」と言う事で、その時点では、急を用する状態でないと診断だった。
そして今何故気になりだしたかというと、就寝時あおむけではこすれて痛い。このままの姿勢ではコブがつぶれて中の膿が出てくるのではないかの不安が大。イスも座り方次第では痛い。加えてほぼ1年になるプール通いで、大鏡で見るとかなり大きいというか、突起物状態で更衣室でどうも変な眼で見られているようだ。
そんな理由で、数年前の大病院へ再診へ出向く。数年前と思っていたら同医師で2年前だった。「大きさは変わりないです。それでもこの大きさなら全身麻酔となりますので、それに体が耐えうるか様々な検査が必要です。手術なら1週間から10日間入院です」。「エッ」と思った。再診前にネットとかで見ると、手術含め切除で即日帰宅とか、入院も2~3日との報を見ていたからだ。どうも脊髄を触れるので全身麻酔の様だ。
何度も検査通院は嫌なので、その日時間的に可能な検査を受けた。とにかく全身麻酔が可能かどうかの全身検査だ。採尿、採血、心電図、X線と続き、驚いたのは肺活量検査もあった。検査が続きそのたいそうな事でこの日の支払いが気になる。結果、74歳2割負担で約6,000円。その1週間後MRI検査。MRI自身は何ていうことないが、その15分位の仰向けになるのが痛い。そこが患部だから。検査技師も「大きいですね。でも少しでも体ずらしたり動いたらダメです。」なので足のふくらはぎに枕みたいの敷いて、少しでも腰浮かし、患部が痛くないよう姿勢は取った。しかしいざ始まると擦れて痛い。「ここは病院だ。万が一患部がつぶれても、一番安全な場所にいる」と納得しつつ終了。この検査だけで会計は4,000円超。検査も痛かったがこちらも痛い。さて最後はこの1週間後の麻酔、現投薬チェック、家族への説明と続く。。
…たかが腰の一部のコブが、体全体、脊髄と全身麻酔と言う問題になってきた。
でもこれさえ切除すれば、外見は問題なし、酒はそれなり飲んでいるのに内臓も異常なし、通院は3ヶ月の1回の眼と歯と月1回の血圧中心の定期健診と、75歳成りたて。「背筋がピンとして、いつも若々しい」(近所の女性)との煽てで気を良くしている、「東寺南門前の下駄オヤジ」。もう少し元気で生きられようか…?ちょっと怖い手術は1月中旬予定。
2025.11.17 更新
第213回 月は見ている
「小さい秋みつけた」は童謡だが、5月から9月位まで延々と続く酷暑と、1~2月の底冷えの間にわずかな秋を感じるここ数年。その変化は10月の1ヶ月に特に感じる。このわずか30日の急激な気温、日の出の変化でそれを実感する。
まず気温だが今年10月度の京都市の最低気温は17度から5度まで下がる。最高気温は25度から15度までこれも下がる。日の出は5:59から6:16へと遅くなる。日の出は文字通り太陽が東山連峰に上がる時刻だが、その前のうっすらと朝が空ける気配、明るくなるのは目の前の東寺の5時の開門時刻でなおハッキリしている。夏は5時の開門前の4時半には明るいが、冬は5時半過ぎでも暗い。ついでに言えば京都市の日の出で夏至は4:44、冬至(東寺と駄洒落風)は7:01。又、中秋名月・10/6、十三夜・11/2は、夜の東寺の五重の塔とのコントラストは抜群。
と、何もJRCM「そうだ、京都に行こう」ではない。
雨天以外はほぼ毎朝、東寺から北へJRを超え歩6~7分の梅小路公園‣芝生広場で体を動かしている身として、起床がゆっくりの方は決してご存知にない、その周辺の早朝光景をお伝えしよう。
まず一番の多いのは犬の散歩。大きい犬は少なく、大谷翔平のデコピンではないがあのサイズやもっと小さい犬が多い。そして若い母親の「公園デビュー」ではないが、犬を仲介にお喋りの輪があちこち。たまに犬にフン処理に疎い人もいるが…。
次は、野良猫への餌やり。一時不衛生な行為が目立ち、注意書き看板もあり減ったが今は、周辺のほぼ決まった茂みで、猫自体が餌欲しさにニャンニャンと鳴いて待っている。対する高齢女性も、見ている限り食べ物と水をキチンと与え終わったら後かたずけしている様だ。
さて、ここまでは予測つくだろうが、次を最初見た時,エッと思った。
日の出どころか明るくなる前、明るいのは公園の灯火しかない時間帯に、自転車のハンドルに数個のスマホを奇妙にくくり付けた高齢男性数人が集合して、灯火の下やそれ以外の場所でスマホ操作談義やっている。それもうっすらと公園が明るくなる頃にはいなくなる。
何なんだと思う。多い人はスマホをハンドルに4個、自分の片手に1個、別の人も個数は違うが同じ風体。何で明るい時間にやらず、暗い時間帯にやるのか、それが快感なのか意味不明。
そんなこんなの夜明け前の周囲300M程の芝生公園。ホッとする行為もあるのだ。
夜明けから日の出までの間、いつも上下黒で手袋、白いビニール袋持って公園をくまなく歩いく男性。そうです、ゴミ拾いしているのです。何度も聞くと嫌がるだろうと思い、一度だけ声かけした。「出勤前に散歩がてら」と謙遜しながらの返答。この公園清掃は、公園愛護協会と、緑化協会というボランティアの「月1回以上」。つまり、月1回の清掃では毎朝必ず落ちているゴミに間尺が合う訳がない、規則通り清掃では毎日綺麗な公園は保たれないのです。こういう男性の無心の行為で、この芝生公園の緑は守られているのです。
人目につかずとも、夜明け前のお月さんはちゃんと見ているのです。
まず気温だが今年10月度の京都市の最低気温は17度から5度まで下がる。最高気温は25度から15度までこれも下がる。日の出は5:59から6:16へと遅くなる。日の出は文字通り太陽が東山連峰に上がる時刻だが、その前のうっすらと朝が空ける気配、明るくなるのは目の前の東寺の5時の開門時刻でなおハッキリしている。夏は5時の開門前の4時半には明るいが、冬は5時半過ぎでも暗い。ついでに言えば京都市の日の出で夏至は4:44、冬至(東寺と駄洒落風)は7:01。又、中秋名月・10/6、十三夜・11/2は、夜の東寺の五重の塔とのコントラストは抜群。
と、何もJRCM「そうだ、京都に行こう」ではない。
雨天以外はほぼ毎朝、東寺から北へJRを超え歩6~7分の梅小路公園‣芝生広場で体を動かしている身として、起床がゆっくりの方は決してご存知にない、その周辺の早朝光景をお伝えしよう。
まず一番の多いのは犬の散歩。大きい犬は少なく、大谷翔平のデコピンではないがあのサイズやもっと小さい犬が多い。そして若い母親の「公園デビュー」ではないが、犬を仲介にお喋りの輪があちこち。たまに犬にフン処理に疎い人もいるが…。
次は、野良猫への餌やり。一時不衛生な行為が目立ち、注意書き看板もあり減ったが今は、周辺のほぼ決まった茂みで、猫自体が餌欲しさにニャンニャンと鳴いて待っている。対する高齢女性も、見ている限り食べ物と水をキチンと与え終わったら後かたずけしている様だ。
さて、ここまでは予測つくだろうが、次を最初見た時,エッと思った。
日の出どころか明るくなる前、明るいのは公園の灯火しかない時間帯に、自転車のハンドルに数個のスマホを奇妙にくくり付けた高齢男性数人が集合して、灯火の下やそれ以外の場所でスマホ操作談義やっている。それもうっすらと公園が明るくなる頃にはいなくなる。
何なんだと思う。多い人はスマホをハンドルに4個、自分の片手に1個、別の人も個数は違うが同じ風体。何で明るい時間にやらず、暗い時間帯にやるのか、それが快感なのか意味不明。
そんなこんなの夜明け前の周囲300M程の芝生公園。ホッとする行為もあるのだ。
夜明けから日の出までの間、いつも上下黒で手袋、白いビニール袋持って公園をくまなく歩いく男性。そうです、ゴミ拾いしているのです。何度も聞くと嫌がるだろうと思い、一度だけ声かけした。「出勤前に散歩がてら」と謙遜しながらの返答。この公園清掃は、公園愛護協会と、緑化協会というボランティアの「月1回以上」。つまり、月1回の清掃では毎朝必ず落ちているゴミに間尺が合う訳がない、規則通り清掃では毎日綺麗な公園は保たれないのです。こういう男性の無心の行為で、この芝生公園の緑は守られているのです。
人目につかずとも、夜明け前のお月さんはちゃんと見ているのです。
2025.11.01 更新
第212回 ロイヤル・アルバートホール
先月大相撲ロンドン公演が行われたこのホール、英国一の音楽ホールで音楽家の憧れの舞台だそうだが、最初名前だけ聞いた時はわからなかった。
しかし、建物外観をどこかで見たような…?
思い出した!1990年代の英国の映画「ブラス」のタイトルバックの建物だ。
炭鉱労働者の闘いをヒントにした映画で、過酷な労働環境を是正すべく仲間に呼びかけるも会社側の切り崩し、仲間の裏切り、貧困家族の不和・崩壊などを描きつつ、この炭鉱労働者の唯一の絆が吹奏楽団。ちなみに何故トランペットなど吹奏楽器なのかと言うと、炭鉱現場で彼らの肉体、つまり肺機能がやられるのを防ぐために、その機能回復のためにも吹奏楽だと映画を観た当時知った。
様々な困難の中、彼らはこのロイヤル・アルバートホールで英国一を競うコンクールに出場。最後の決勝戦の曲目は「ウイリアムテル序曲」。そう~、私の世代が小学生の頃の人気の米西部劇TV「ローンレンジャー」のタイトル曲だ。黒い仮面をつけ白馬で走る映像と共に覚えている。高校生位まで、あの曲は番組の主題曲だとも思っていた。
さて彼らは見事優勝し、そのトロフィ授与でこの楽団は、政府の労働者分断を批判し、その事で団員家庭をも崩壊させた厳しい事実を突きつけ、受取りを拒否した。その直後、彼らはロンドンの街に出てパレード演奏したのが英国第二国歌と言われる「威風堂々」。感動的なラストシーンだった。
実は同じように、日本の炭鉱労働者を励まし続けた音楽家が日本にもいた。
1950~60年代、国のエネルギー大転換で未曾有の労働争議になった、私の故郷に近い福岡の三井三池炭鉱闘争で、自らも炭鉱労働者だった荒木栄だ。日本の労働歌の草分けで、今でもメーデーでは「がんばろう」など荒木の歌は唱和されている。
エピソード的に続けると、それまで日本の労働組合の大会閉会時は「万歳三唱」で終わっていたのが、この歌がきっかけで「団結がんばろう三唱」になり、それが今でも続くだけでなく、労働歌などとは真逆の世界の自民党などの保守政党でも、大会閉会時はこれで終わっていると言うから奇妙な話だ。何でも組織の高揚時は「万歳三唱」で良いが、苦難時から反転攻勢に転じる場合にこの「団結がんばろう三唱」となるらしい、と聞くと少しガッテン。
そんなこんなを回想しつつの今の瞬間。「馬車馬のように働く」と宣言し、我が国初の女性首相になった方は、早くも労働時間規制の緩和を打ち出した。命守る働き方なんて甘っちょろいのでしょう。「強い経済」、「日本列島を強く豊かに」を連呼。何せ尊敬するのは弱肉強食・新自由主義を推し進め、「英国の鉄の女」と言われたサッチャー首相だもの。
見捨てられたように遅々として進まぬ奥能登の復旧や、高いコメ食べられぬ「弱い国民」は、自助努力しかないのだろうか?
しかし、建物外観をどこかで見たような…?
思い出した!1990年代の英国の映画「ブラス」のタイトルバックの建物だ。
炭鉱労働者の闘いをヒントにした映画で、過酷な労働環境を是正すべく仲間に呼びかけるも会社側の切り崩し、仲間の裏切り、貧困家族の不和・崩壊などを描きつつ、この炭鉱労働者の唯一の絆が吹奏楽団。ちなみに何故トランペットなど吹奏楽器なのかと言うと、炭鉱現場で彼らの肉体、つまり肺機能がやられるのを防ぐために、その機能回復のためにも吹奏楽だと映画を観た当時知った。
様々な困難の中、彼らはこのロイヤル・アルバートホールで英国一を競うコンクールに出場。最後の決勝戦の曲目は「ウイリアムテル序曲」。そう~、私の世代が小学生の頃の人気の米西部劇TV「ローンレンジャー」のタイトル曲だ。黒い仮面をつけ白馬で走る映像と共に覚えている。高校生位まで、あの曲は番組の主題曲だとも思っていた。
さて彼らは見事優勝し、そのトロフィ授与でこの楽団は、政府の労働者分断を批判し、その事で団員家庭をも崩壊させた厳しい事実を突きつけ、受取りを拒否した。その直後、彼らはロンドンの街に出てパレード演奏したのが英国第二国歌と言われる「威風堂々」。感動的なラストシーンだった。
実は同じように、日本の炭鉱労働者を励まし続けた音楽家が日本にもいた。
1950~60年代、国のエネルギー大転換で未曾有の労働争議になった、私の故郷に近い福岡の三井三池炭鉱闘争で、自らも炭鉱労働者だった荒木栄だ。日本の労働歌の草分けで、今でもメーデーでは「がんばろう」など荒木の歌は唱和されている。
エピソード的に続けると、それまで日本の労働組合の大会閉会時は「万歳三唱」で終わっていたのが、この歌がきっかけで「団結がんばろう三唱」になり、それが今でも続くだけでなく、労働歌などとは真逆の世界の自民党などの保守政党でも、大会閉会時はこれで終わっていると言うから奇妙な話だ。何でも組織の高揚時は「万歳三唱」で良いが、苦難時から反転攻勢に転じる場合にこの「団結がんばろう三唱」となるらしい、と聞くと少しガッテン。
そんなこんなを回想しつつの今の瞬間。「馬車馬のように働く」と宣言し、我が国初の女性首相になった方は、早くも労働時間規制の緩和を打ち出した。命守る働き方なんて甘っちょろいのでしょう。「強い経済」、「日本列島を強く豊かに」を連呼。何せ尊敬するのは弱肉強食・新自由主義を推し進め、「英国の鉄の女」と言われたサッチャー首相だもの。
見捨てられたように遅々として進まぬ奥能登の復旧や、高いコメ食べられぬ「弱い国民」は、自助努力しかないのだろうか?
2025.10.15 更新
第211回 ワンコインランチ
このタイトルは、今や死語か?!
京都市内で1,000円以下のラーメン店はまず無い。オフィス街の和洋食店もしかり。加えてコーヒー飲むと1,500円で釣りがあるかどうか…?
更に最近聞いた話で、嵐山など観光地にある職場で職種は事務。つまり一日室内なので昼休みが唯一の外出で、ルンルン気分で出た途端のお店の価格で一瞬に青ざめると。つまり近所の飲食店が観光客のメニューに大暴騰し、1,500円以下の価格帯がない。喫茶店も高い。要は毎日昼食に3,000円かかると。これでは持たない。結局その職場は自宅から弁当持参がほとんどになり、昼休みは散歩だけだと。
以前、ワンコインランチと言えば京都市内の官庁街、大手病院、ビジネス街にキッチンカーが来て賑わっていた時もあったが、意地悪な警察の取り締まりで、キッチンカーはその場を追い払われ、ワンコイン・500円玉握りしめていたサラリーマンも、その模様を残念な目で眺めるしかなかった。
今、3K職場の方がよっぽどマシなように見える。汚れた作業着では元々飲食店に入れないのは本人達も承知で、自宅からの弁当と現場近くのコンビニで買ったカップラーメンで、地べたに座り、仕事仲間と楽しそうに食しているのが見えるのが良い。
そして一番深刻なのは、今日本人の主食のコメを日本人がまともに食べられない事。
かくゆう私も、毎月米櫃が空になると、うどん、パスタでやりくりしている。
おかしいなあ~。主食が満足に食べられない先進国って…。80年前の混乱期でもあるまいし。今コンビニや飲食店は無数にあるが、国民の懐がそれに比例していない。
どうにかして!新首相さん、この異常な物価高。
俳優の菅原文太さんは、晩年農業もやっていて「国の役目は国民を飢えささない事。戦争しない事だ」と力説し、最後に自身が出演したやくざ映画のセリフよろしく「まだ弾は一発残っているぜよ」と、諦めない姿勢で周りを鼓舞していた。
小欄一部300回記念「ブルートレイン その④荒廃」に記した、ラーメン+とんかつ+ご飯+漬物で210円の時代が懐かしい。カンバック1970年代、カンバック白飯。
京都市内で1,000円以下のラーメン店はまず無い。オフィス街の和洋食店もしかり。加えてコーヒー飲むと1,500円で釣りがあるかどうか…?
更に最近聞いた話で、嵐山など観光地にある職場で職種は事務。つまり一日室内なので昼休みが唯一の外出で、ルンルン気分で出た途端のお店の価格で一瞬に青ざめると。つまり近所の飲食店が観光客のメニューに大暴騰し、1,500円以下の価格帯がない。喫茶店も高い。要は毎日昼食に3,000円かかると。これでは持たない。結局その職場は自宅から弁当持参がほとんどになり、昼休みは散歩だけだと。
以前、ワンコインランチと言えば京都市内の官庁街、大手病院、ビジネス街にキッチンカーが来て賑わっていた時もあったが、意地悪な警察の取り締まりで、キッチンカーはその場を追い払われ、ワンコイン・500円玉握りしめていたサラリーマンも、その模様を残念な目で眺めるしかなかった。
今、3K職場の方がよっぽどマシなように見える。汚れた作業着では元々飲食店に入れないのは本人達も承知で、自宅からの弁当と現場近くのコンビニで買ったカップラーメンで、地べたに座り、仕事仲間と楽しそうに食しているのが見えるのが良い。
そして一番深刻なのは、今日本人の主食のコメを日本人がまともに食べられない事。
かくゆう私も、毎月米櫃が空になると、うどん、パスタでやりくりしている。
おかしいなあ~。主食が満足に食べられない先進国って…。80年前の混乱期でもあるまいし。今コンビニや飲食店は無数にあるが、国民の懐がそれに比例していない。
どうにかして!新首相さん、この異常な物価高。
俳優の菅原文太さんは、晩年農業もやっていて「国の役目は国民を飢えささない事。戦争しない事だ」と力説し、最後に自身が出演したやくざ映画のセリフよろしく「まだ弾は一発残っているぜよ」と、諦めない姿勢で周りを鼓舞していた。
小欄一部300回記念「ブルートレイン その④荒廃」に記した、ラーメン+とんかつ+ご飯+漬物で210円の時代が懐かしい。カンバック1970年代、カンバック白飯。
2025.10.01 更新
第210回 現代病
この夏、「腑抜けNO会」の3人の女性会員から「膝が痛くなって外出しにくい」。
医者との検診で、どうもこの夏クーラーで特定の部位(膝)の冷やし過ぎ。湿布クスリと投薬、そして無理のない適度な運動をと言われ、「薬は処方箋が書いてあるからわかるが、『無理のない適度な運動』がわからない」と。ごもっともである。この責任の所在が曖昧な言い方がクリニック経営の妙味、患者を長く通院さすコツだと、その道の人に聞いたことがある。この酷暑の日々、「皆様のNHK」始め、TVメディアは初期、「今日は38~40度になりそうです」とアナウンサーがコメントし、街角の声を拾い「エエッ、そんなに」と気温の高さへの驚愕が、怖さより何か(スポーツ記録への)興味関心の様を映し出す。怖いのは乳母車引く若い母親、乳母車の位置は地表に近く、大人の体感気温より高いのは自明。でも若い母親は何故かインタビューに笑って応えている。TVは「こまめな水分補給と適切なクーラー使用」をこの3ヶ月毎日毎日ずっとそれだけをオウム返しに続けた、決してそれ以上深堀りせず。辛口に言えば報道する側の怠慢。水分補給とクーラー使用のメリット、デメリット、ましてやクーラー買えない貧困層など描かない。上述のクリニック同様、「皆様のNHK」も、結局は「自助努力ですよ~」と囁いているよう。
さて、先日面白い映像を観た。30年前の1月16日の神戸の電車内光景だ。つまり阪神淡路大震災前日。車内は新聞や週刊誌読む人、雑談する人。窓外を眺め人…。
この人々が翌朝自宅の固定電話が繋がらず、我先に10円玉持って向かった先が、緑の公衆電話。この震災後携帯電話の普及、そしてスマホへと発展していった。そして今、神戸だけでなくどこの大都市通勤電車内でスマホ見ていない人を探すのに苦労する。今、緑の公衆電話がどこにある?テレフォンカードがどこで売っている?わずか30年の電車光景と我々の生活スタイルの劇的変化に驚く。
ここからでも、新聞・週刊誌・出版産業の末路が目に見えてくる。
スマホの功罪は百花繚乱。今更私なんぞが語ることはないが、技術の進歩は無限大でも、人間の五体は大谷翔平じゃあるまいし、それに応じて進化するか?否だ。身近な眼科医,メガネ屋に聞いても、末恐ろしい。
スマホで興味関心事への満足は得られても、それは眼、首の筋肉、背骨に疲労が確実に溜まってくる。30年前の大人もしかりだが、30歳未満の若者は生まれ時からスマホが目の前に当然のようにあり、功罪も何も自宅で学校で職場でスマホから逃げられない運命にある。
先天性○○病とよく言うが、生まれた時から、眼、首、背骨の欠陥が潜在化している事だ。少なくとも大人になるまでは、目の前の両親、大人は30年前の阪神淡路大震災の負の遺産から発したこの一つの現代病を真正面から向き合う必要があると思う。
酷暑で外に出られず足腰膝がやられ自力で歩けなくなり、スマホで眼がやられ、首背骨が曲がりは、決して今の大人でなく、子供世代の自画像だ。あと30年すれば答えは出てくる。
まあ~その時、私はあの世から見てるだけだが…。
医者との検診で、どうもこの夏クーラーで特定の部位(膝)の冷やし過ぎ。湿布クスリと投薬、そして無理のない適度な運動をと言われ、「薬は処方箋が書いてあるからわかるが、『無理のない適度な運動』がわからない」と。ごもっともである。この責任の所在が曖昧な言い方がクリニック経営の妙味、患者を長く通院さすコツだと、その道の人に聞いたことがある。この酷暑の日々、「皆様のNHK」始め、TVメディアは初期、「今日は38~40度になりそうです」とアナウンサーがコメントし、街角の声を拾い「エエッ、そんなに」と気温の高さへの驚愕が、怖さより何か(スポーツ記録への)興味関心の様を映し出す。怖いのは乳母車引く若い母親、乳母車の位置は地表に近く、大人の体感気温より高いのは自明。でも若い母親は何故かインタビューに笑って応えている。TVは「こまめな水分補給と適切なクーラー使用」をこの3ヶ月毎日毎日ずっとそれだけをオウム返しに続けた、決してそれ以上深堀りせず。辛口に言えば報道する側の怠慢。水分補給とクーラー使用のメリット、デメリット、ましてやクーラー買えない貧困層など描かない。上述のクリニック同様、「皆様のNHK」も、結局は「自助努力ですよ~」と囁いているよう。
さて、先日面白い映像を観た。30年前の1月16日の神戸の電車内光景だ。つまり阪神淡路大震災前日。車内は新聞や週刊誌読む人、雑談する人。窓外を眺め人…。
この人々が翌朝自宅の固定電話が繋がらず、我先に10円玉持って向かった先が、緑の公衆電話。この震災後携帯電話の普及、そしてスマホへと発展していった。そして今、神戸だけでなくどこの大都市通勤電車内でスマホ見ていない人を探すのに苦労する。今、緑の公衆電話がどこにある?テレフォンカードがどこで売っている?わずか30年の電車光景と我々の生活スタイルの劇的変化に驚く。
ここからでも、新聞・週刊誌・出版産業の末路が目に見えてくる。
スマホの功罪は百花繚乱。今更私なんぞが語ることはないが、技術の進歩は無限大でも、人間の五体は大谷翔平じゃあるまいし、それに応じて進化するか?否だ。身近な眼科医,メガネ屋に聞いても、末恐ろしい。
スマホで興味関心事への満足は得られても、それは眼、首の筋肉、背骨に疲労が確実に溜まってくる。30年前の大人もしかりだが、30歳未満の若者は生まれ時からスマホが目の前に当然のようにあり、功罪も何も自宅で学校で職場でスマホから逃げられない運命にある。
先天性○○病とよく言うが、生まれた時から、眼、首、背骨の欠陥が潜在化している事だ。少なくとも大人になるまでは、目の前の両親、大人は30年前の阪神淡路大震災の負の遺産から発したこの一つの現代病を真正面から向き合う必要があると思う。
酷暑で外に出られず足腰膝がやられ自力で歩けなくなり、スマホで眼がやられ、首背骨が曲がりは、決して今の大人でなく、子供世代の自画像だ。あと30年すれば答えは出てくる。
まあ~その時、私はあの世から見てるだけだが…。




