2024.05.15 更新
第177回 個人競技
 個人競技でもボクシングは引き分けがあり、複数の審判の判断で勝ち負けが決まる判定がある。野球でも引き分けがある。それぞれ1時間半くらい戦っての勝ち負けがつかない場合引き分けという結果になる。戦っている選手には、お疲れ様としか言いようがないし、本人たちもその日は白黒つかないので肉体的、精神的に消化不良だろう。
 と、いう風に考えていくと、通常数秒、長くて1分位で、勝ち負けがつき、引き分けのない競技が相撲だ。勝負が微妙でも土俵下の審判が、即勝ち負けを決める。決まらなければその場で取り直しさせ、必ず決着を付ける。

 もう一点。
複数の試合の内容と結果を、その日まとめて決着を見届けられる競技も相撲だ。
その日の幕内の約20番(TV生観戦で2時間)の結果だけでなく、全ての内容を全部再度見ることができる。野球やサッカーではこうはいかない。1時間半ばかりの野球、サッカーだと、勝負のポイントになったダイジェスト部分だけを見るだけだ。つまり、チームの誰かが打った、投げた、ゴールしたと。特に極端なのは、その特定の個人選手のみの活躍ばかりで、その集団競技(チーム)の結果はどうでも良い事がある。誰の事かもうおわかりにように、大谷翔平の場合だ。大谷がホームラン、ヒット打てば良い、チームが勝とうが負けようが。昨年までの「なおエ(エンゼルス)」がそれだ。

 前置きが甚だ長くなった。
「栃若」、「柏鵬」「輪湖」「若貴」時代と大相撲の興隆を伝えるワードが懐かしい…。その50年位の相撲の攻防が全て見れるTVダイジェストのYoutubeは便利だ。立ち合いで両手をキチンとついているかの50年の変遷も見れる。当時の取組を見て、事実として言えるのは何より勝負への執念、つまり熱戦が多いのが最大の特徴。簡単に勝負がつかない。更に気づくのは、怪我を押しての強行出場は必ず、大きなつけがあるって事。貴乃花、稀勢の里と記憶に新しい。現瞬間では先場所大旋風の尊富士。今でも稽古ができていない。夏場所は全休すべきだ(結果、そうなった。当然だ)。
 プロスポーツの活躍は約20年間。短いようだが長く貴重な時間の使い方がプロ選手に求められる。その相撲は、一瞬の勝負に賭ける200キロ前後の頑強な男の激突だから、生半可な稽古では土俵にあがると体が潰される。
ある現役力士が言う「立ち合いは、小型車相手の激突と一緒です。むち打ちの恐怖が毎日です」。立ち合いと言う静から動への一瞬で、勝負の大勢は決まる。試合の流れの中で、集団でスクラム組むラグビーでもないし、個人の柔道、レスリングとも違う。唯一無二の面白さがそこにある。
 だから私は。栃若の大勝負直後の「分解写真でもう一度」(今の様な録画がなく、写真を組み合わせた白黒のパラパラ漫画の様な物)時代から、つまり九州での小学校時代つまり60数年前からのファンであり、当時のヒーロー大鵬の出身地は、北海道の弟子屈(てしかが)と今も言える。
2024.05.02 更新
第176回 尺八
 「尺八は、この楽器の長さが一尺八寸で、それが由来です」。会場の私と同年配の20数人から「へぇ~」。そんなものだ。案外知らない名前の由来。まして尺、寸なんて大昔の計量なので、現代は知り由もない。
 その会場とは、水上勉「五番町夕霧町」で有名な地域で、小さい寺が多いのかも疑問だったので住職に聞くと、「豊臣秀吉が大火の防火地域として、密集する一般家屋より広い寺を創ったと言うが定かでない」と。

 私は25年前(1999年)の5月3日(憲法記念日)に茂山千ノ丞、観世榮夫さんをメインにした「反核能と狂言の集い」(in金剛能楽堂)企画の事務局長をやったので、その構成の中で、開演を知らせる一本の笛の、会場をつんざく響きに感嘆した記憶があり、今回の尺八演奏に興味があったので出かけた。
 先程の名前の由来に加え、尺八と言う楽器のそもそもの話が、参加者にストンと落ちた。竹と言う自然の樹木から出来ているので、自然に調和する音色を貴ぶ。だから大自然、悠久の世界に誘う音色、西洋8音階の、ミとシがないので、奏者の舌と首を若干動かす仕草でその音を出す。八寸より長い尺八は低い音域の曲、逆に短い尺八は高い音域の曲と使い分けるとも。楽器も奏者もその日その日の気候、体調などで音が微妙に違うのだと。(まあ~素人にはわからない)だから、楽譜も独特。これも素人では全くわからない。わかるのは、独特の音色でちょっと入り込む瞑想的な世界だ。

 今回の企画は、風の音の様な尺八の響きと、これも風の音の様な刃・殺陣の所作のコラボ。
これも初歩的な驚きは、武士は必ず右利き(左利きの子は矯正させられる)で、抜くのは鞘を握る左腕で構え右腕で抜く。逆に言うと、面する相手への信頼所作の場合は、刀を自分の右に置き、相手に刀を即抜かないという意思表示だと言う。なるほど合点。足運び、受け身、袈裟斬り,居抜き胴などいろんな形も知った。加えて、瞬時で勝負は決まるので、息が上がる武士はいない。それは今も剣道の試合見ればわかるし、面を付けていない真剣での申し合いでは剣さばき以前に、双方の息遣いを見ればすでに勝負が決していると言う。
そんな視点の映像、つまりカットなし(俳優の休憩なし)で、勝負がつくまでの申し合いの時代劇はいくつあるか?否、無い。息がどんなに上がっても、どんなに腕や足がふらついても、お互い何ヶ所か傷つき血があふれていても、切り殺す最後まで、人間が生き残るかどうかの生身の勝負は、映画では作れない。

 竹光の殺陣はあくまで所作・演技であり、真剣は生きるか死ぬかの武器。
人間を死に追いやる行為は、ドロドロの凄惨な修羅場でしかない。個人の戦いしかり。
これが国同士なら言わずもがなである。今、「マリウポリの20日間」観ながらそう思う。
2024.04.15 更新
第175回 BOSS
 物流の大変革と言われる「2024年問題」。そこに働く人々の環境は、企業はどうなるのか?まず大阪のあの万博はどうなるのか?輸送、現場労働が法令に沿っていたら開幕には絶対間に合わない。でも間に合わせる、万博協会はどんな奇策を打ってくるかなどなど、余計な事を考えつつ、中島みゆきの「ヘッドライトテールライト」のCM世界を見ていて、あのTVCM特集に出くわした。

 缶コーヒーBOSS、働く人をテーマに16年間、何と81作。
関西の我々の下でのTVCMオンエアーは10作に満たない記憶があるが、こんな数作られていたとは驚きだが、驚きは数よりその中身の凄さ。一作一作に唸る。
 民放とNHKの違いの一番は「営業」部門の有無=収入源が自力か地力か。民放の営業マンは言う「どんな良い番組作るのも金(収入)ないと無理。NNKの様に国から金が出る殿様商売とは180度違う。
前々職の広告会社時、地元放送局のなじみの営業社員の毎度出てくる愚痴だった。だからこの放送局の年末忘年会は、制作と営業部門は、「金がないから良い番組作れない×無くても作れる」と、いつも取っ組み合い直前の喧嘩ばかりしていたのを思い出す。ましてCMはその代名詞。金がないと絶対良いCMは作れない。

 BOSS CMは、わずか15秒のCMに毎回毎ごと出演者が変わる超々贅沢な作り。当代の人気者で、ギャラが高騰している俳優をよくも簡単に使う、プロディースの腕には舌を巻く。
それも、わずか100円超の缶コーヒーのCMに…。既成概念がひっくり返される。
 長寿TVCMで言えば、白い犬のソフトバンクだが、ここは同一キャスト。しかし、BOSSのこれは宇宙人・ジョーンズだけ。多彩なテーマ、働く現場、働き方であらゆるタレント、俳優陣。それもトップの。大滝秀治、北大路欣也、加山雄三、山崎努、役所広司、大杉連、タモリ、武田鉄矢…。ついにはタモリの「笑っていいとも」など、各々の持ち番組にも入って行く。BGMも「3丁目の夕日」、「木枯し紋次郎」、「地上の星」、その中島みゆきも登場してくる。この発想には参る。わずか15秒のCMに。正確に言えば13.5秒のわずか1カット、秒数にして1~2秒の一言か二言のセリフのみ。よくもこれだけの俳優を…。
どれだけ金をつぎ込むか?…。働く現場も、この国で考えられるあらゆる業種職種、あらゆる作業着…、ついには相撲の行司、戦国武将のエキストラ…。ハリウッドスターのトミー・リー・ジョーンズのあの渋い無骨な表情で「この星の住人は」で始まり、日本人の古い労働観、人生観を若干皮肉くり、優しさもコーヒーの様に取り混ぜ、ホロリと泣かせ、最後は日本人の風習に共感しつつ、見事に落とす手法には唸る。だからどんな日本人もこのCMに身を乗り出すし、出演の俳優の「このCMから声かかるのを待っていた」との複数のコメントがある。
すでにCMと言うより、映像の世界、それもたった15秒だがその「働き方」の真髄を突いているから現実以上にリアリティー。

 大阪万博を強引に進める偉い方々は、宇宙人・ジューンズがつぶやく「働き方」はわかろうとはしないだろう。わかったら中止するしかないから。
2024.04.01 更新
第174回 つぶらな瞳を曇らせない
3/17在京都のベトナム仲間4人が参加
 眠い目をこすり、若いベトナムの彼らには酷な早朝7:45、近鉄大久保駅前を支援物資と想いを積んだ2台の車で出発。在京都ベトナム青年学生会会長始め4人と私含め、日本ベトナム友好協会支部役員5人の計9人。羽咋市千里浜の実習生研修施設に到着したのが11:45なので、ちょうど4時間。

つぶらな瞳だが
 早速、ベトナムインスタントラーメン、コーヒーの食材とハンドクリームなど女性用品、本部から預かりの「お年玉」を一人ひとりに。14人の彼女たちの大半が和倉温泉の老舗旅館で働いていたが閉鎖。1~2月は雇調金出たが、3月以降は不明だと。それと職種変更の運用緩和されなければ、見知らぬ他府県へ行かねばならないとも。
 許可を得て、この施設に1週間前(3/10)に来日した約30人とも会えた。当然彼らは先の14人とは違って地震は体験していない。京都支部の日越語リーフ「シンチャオ」を開け、母国語に喜んでいる。まだ能登の現実を未体験なので無邪気だ。

雇用先はゴーストタウン
 1時間の交流後、彼女たちが働いていた七尾・和倉温泉街へ。全ての旅館の建物は傾き
閉鎖。土産物店含め和倉の観光業が全滅している。働いていたベトナム人だけでなく日本人も、全て路頭に放りだされた状態だ。地震は国籍を選ばない。
 
花は咲く、京都にも能登にも
 同行の4人の感想文に「友好協会の日本人が同胞に優しく接してくれて感激した。」とあった。現地の彼女たちだけでなく、京都の彼等からも救援隊は見られているのである。
 春になれば日本全国桜は咲く。ただ、愛でられる日々の暮らしを取り戻すのは、人間の
努力しかない。

2024.03.15 更新
第173回「しなければならない」
 他人様の言葉の一言一言が妙に気になるのは、年取ってきた証拠かな。
最近の言葉では、「元気と勇気を与える、「逆に元気をもらった」、「寄り添う」。
一句目は、「元気と勇気を感じてもらえれば」位の一歩下がった謙虚さが欲しい。
     あんまり、偉そうに上から目線で言うなとの反感を覚える。
二句目は、そんなひ弱で弱者に接するなんて失礼な。
三句目は、その場しのぎで、最後まで努力し続けるか甚だ不明な事例多い。
などなど。

 さて、気になる語尾に「~かな」と自分の言葉の最後を婉曲、遠慮した言い方がある。
大谷翔平選手も「調子は良い~かなと思う」と「~かな」を入れて、好調ぶりを少し遠慮
気味に言う。一般人では「今日は少し暖かい~かなと思う」。「暖かい」とハッキリ言わず「~かな」を入れて、他人からの指摘を避けるためか、断定しない言い方がある。
 まあ~、これらは害はない程度だ。主語、述語がハッキリして、その間の断定を少しぼやかす程度だから可愛い。ところが、この主語がハッキリしないと、誰の意見?となる。

 つまり、このタイトルだ。主語は一人称の私なのか、二人称の貴方なのか?三人称の彼・彼女なのか?
多いフレーズはこの国の首相の「全容解明しなければならない」、「信頼回復しなければならない」、「批判を重く受け止めなければならない」。…誰が?「周りの人でなく、それは貴方が、でしょう」と言いたくなる。
「私が全容解明します。私が信頼回復します。私が批判を受け止めます」と言えば、責任所在がハッキリする。
 もう一つは、組織体での上層部が、構成員に目標などについて「しなければならない」。これは、構成員への指示なのか、意義を上層部に強調しているのか、不明な場面が多い。
前者でも大体構成員は目の前で下を向き神妙な顔しているが、面従腹背が多い。後者では、上層部の責任のなすりあいで、目があちこちに飛んでいる。

 最後は「心からのお詫び」である。これが「お詫び」だけではダメなのか?何故「心から」を入れる必要があるのか?「心から」が軽く扱われている感だ。「お詫び」して、以前の状況に戻すには過去の倍の努力が必要なのは自明。その具体策は無言。その「心から」が泣いている。
 とにかく、「心からのお詫び」の後の、「しなければならない」言葉が軽く曖昧模糊。
覚悟がないから言葉が曖昧、目は虚ろ。体に言葉が付いていっていない。
 主語が誰がって…?もちろん、この国の首相。
「ムービー軌跡」
千代野基金

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