2026.04.01 更新
第222回 写真
 映画「砂の器」の犯人を割り出す重要なシーンとして、元巡査の被害者・三木謙一(緒形拳)が余生を楽しむお伊勢さん巡りで、一泊投宿の宿を二泊もし、二晩とも近所の映画館に行った後、急に予定にない東京行きを決意させた。この不信な行動を気づいた今西刑事(丹波哲郎)が、その映画館を捜査し、最初は二日連続で観た映画の中の登場人物に、三木は意外な人物を発見したと思いきや 再度映画館支配人(渥美清)に聞くと、最初の晩と翌日の映画は作品が違っている事を知る。ならば、映画の中でなく、映画館・建物の中に何かヒントを探すと、壁に飾られた1枚の集合写真。地元選出の大蔵大臣に上り詰めた政界のドンと並び映った青年…。三木は二晩続けてその写真をまじまじと見て、自分が救った本浦秀夫(加藤剛)だと確信し、余命いくばくもなくハンセン氏病棟施設で暮らす秀夫の父・千代吉に会うように勧める中で、それを拒否する秀夫こと和賀英良に殺害される。
 このポイントの1枚の集合写真で、一気に事件解決に進む。

 そんなドラマチックではないが、前々号で紹介した孫が希望高校に入学した。
さて、お祝いである。貧民の我が身、モノやカネはない。ならば残るはココロ。
心と言っても、さあ~難しい。
 ふと思った、未来ある高校生に爺さんが見せられるものは…。
祖父にも同時代があった事。祖父は残りの人生を数えるが、この祖父も大昔は高校生だった。おぼろげな未来を考えていた時代があった。

この後、孫が興味関心あれば私に人生聞いてこようが、今なくてもいつか自分の父母に「富田の爺ちゃん、どんな少年だったのかなあ」と聞くだろう。幸い小欄第一部300回記念で、故郷・唐津を出て京都に来たくだりは記録している。どうして祖母と出会い、自分の母親が生まれ、そして今自分がこの世にいるルーツは探れる。
 そんな事しか孫には残せない。このブログ(一部と二部)でも、この57年間の爺の生き様はそれなりに伝えられる。それが孫への私からの高校入学祝いだ。
この末尾の写真が18歳当時の私です。

唐津東高13期・昭和44年3月卒

 

2026.03.16 更新
第221回 志村喬
 前号のスポーツ満載の3月の後はどうなるか?興奮が消えしばしの静寂期間だが、そんなスポーツオフ時の一人ディナーの友はYOUTUBE。独酌しながら、大相撲は栃若時代から。野球は金田稲尾時代から。映画は佐田啓二高峰秀子からと、それぞれの時代を代表する著名人の活躍がヨコ40cmタテ20㎝のパソコンでその歴史が手の取るように見れる。
パソコンって日常的には百科事典であり、こういう時は歴史書になる。たいした物だ。

 そんな時ふと切り替わった画面に?「俳優志村喬死ぬまで寄付続ける」…?
「七人の侍」リーダーの島田官兵衛役、小雪舞う公園、一人ブランコでゴンドラの唄歌う「生きる」の渡辺係長役と、名優の名場面にいとまない。
その彼が死ぬ迄寄付を続けていたと言う話。関連するYOUTUBE見るとどうも真実らしい。
上記など二つの作品での莫大な出演料を全て寄付し、自らの家族は質素な生活を強いられた。映画仲間からは「志村さんはケチ」と言われ続けた。ならばその寄付先は…?それは先の戦争で困難を強いられた戦争孤児、傷痍軍人・戦争未亡人等へ。理由は簡単明瞭「戦争を生き延びた者の当然の行為」と…?!しかし誰でもできる事ではない。
東宝からの出演料支払日、志村が信頼する若き経理担当者に、名簿と金額を記したメモを渡し、その担当者は近くの郵便局から現金書留封筒で匿名で多数に送付し続けた。これを志村が死まで長年続けていたと言う。全く極秘に。その名簿と金額一覧表記載ノートは、この担当者の遺言とされた。当然、志村没後に。その志村の遺言は、有名俳優一家の豪勢な生活でなく、質素な暮しを強いた家族への感謝地共に、「この話は自分の没後50年目に公開したら良い」。何故50年かと言えば、寄付を受けた人々もこの世を去る時期を見計らっての設定だと。
恩を感じて苦しんだり、周りから白い目で見られる人がいるだろうとの、志村自身の思いやりだった。当時も、莫大な資産持つ志村家族が何故質素な暮しぶりは疑う新聞雑誌関係者は、志村本人,家族へインタビューを試みるがプライバシーと一蹴される。粘る記者の中には、出演料支払い直後にその大金がどこかに流出している事を感づき、投資ではないかと何度も志村に食い下がるが「ノ―コメント」。
 月日が経て、寄付で苦難の時代を生き延びた人の中には、治療費無料の診療所立ちあげたり、養護施設を建設したりと、匿名の寄付者の心がこうして形となっていった。彼らは志村喬と言う匿名名を知らないままで,受けた恩をその行為と心を自ら次世代へ繋いだ。

 誰かのために生きる。志村の代表作のこの二つの作品、「侍は弱き人を守る」、「苦しむ人を見過ごせない」の演者の志村は、実際の人間として映画の様に生きた。
 志村が遺言で公開OK出した50年後とは、2028年になる。
2026.03.02 更新
第220回 2026年それぞれの春
 この3月はスポーツ満載。
まず大相撲春場所。4日目の3/11(東日本壇震災)には前号紹介の豊昇龍大ファンのベトナム料理店の彼女が、A升席11番(花道近く)で観戦する。私が作った「がんばれ豊昇龍」手書きポスター持って。
 次に春の高校野球。沖縄尚学が、覇者となった昨夏に続く連続出場。何と言っても、優勝インタビューで、この日が母子家庭の真喜志主将の母親の誕生日の報に甲子園球場はどよめき、私の涙腺も決壊した。さてさて再び沖縄は大盛りになる事だろう。
そしてWBC。何といっても前回決勝戦の大谷×トラウトの世紀の対決が昨日のように思い出される。今回、投手大谷はなさそうで、ジャッジとのホームラン競争か。 

 さて目を転じて身近な春も。
京都市内に住む孫の一人が、今春高校受験。我々の時代と違って2回戦らしく3月一杯迄その結果が待たされる。
その高校とは我が家から西に歩10分。水球が伝統的に強い。私の長男が重量挙げ、次男は陸上をやっての卒業校。だから本人からしたら、自分の母親の二人の叔父さんの母校で、それはすなわち爺ちゃん(私)の家の近くとなる。もっとポピュラーに言えば大相撲・宇良の出身校で、今でも大阪・春場所時は、後輩になる相撲部員を激励したり、数年前は土俵整備に尽力していた。さあ~、どうなるか。

 さてこの私は、3月上旬「男性介護全国ネット全国総会In京都」での記念講演。
この団体は約20年前、京都で産声あげ、今や全国過半数の府県で「男性介護」組織を擁している。つまり、当時は我が夫婦も良き会員、事務局に言わせれば、良き事例だったそう。
今回声がかかったのは、「男性介護の会も、どんどん伴侶亡くす事例多く、その問題に直面しつつある」と、必然だと思う。だから、私の講演タイトルも、「妻の介護・第一ステージ。腑抜けNO会・第二ステージ」。実は嬉しいのは、全国500人の組織の総会だから全国から会員が参加するのだが、費用ほとんど自腹なので実際は100人位の参加
それで、先述の「伴侶亡くす事例増えている」事で、総会資料の一つに「腑抜けNO会」特別冊子(20ページ前後)を作成して、全国500人の会員全てに送付する。これらの費用は全て「男性介護ネット」と言うこの上なくありがたい話。だから記念講演より冊子の話もあり快諾した。結果反応が楽しみ。

大は大谷翔平から、小は私の2026年3月を迎える。
2026.02.16 更新
第219回 スーパー銭湯(214回、前回の続編)
 コブの話なのでしつこい。そして今号は前提が長いがご容赦を。
退院1週間後傷口を抜糸。これで風呂、プールは解禁になった。
あと、体全体で気になる所は214回に記した左肘だけ。「だけ」と自信も持って言えるのは、月1回の検診。これには2~3ヶ月毎に血液検査が加わっているが異常なしが続いている。
(不思議だが)尿酸値、肝機能などの内臓に一切異常なし。毎晩のCパップ(無呼吸防止器具)では、医師「理想的な改善数値です」。つまり起床後の血圧正常という意味。
 さて左肘に話に戻るが、入院中の病棟室温が26度もあり、何故か肘の痛みが和らいでいた。やはり温暖のおかげかな~と思いつつの退院。スポーツインストラクターの娘や、同年齢のスポーツ愛好家の話を総合すると「スポーツクリニックなどに治療費かけても、9割方高齢が原因」と言われ「効用不明の治療が繰り返されるだけ。完治しない。少々の痛みとはストレッチなどで和らげるしかない」との結論だ。

 ここから本題。
ならばと、本来はキチンとした温泉が良いのだが、京都市内近くにはない。なので寒冷続く中、市バスで15分ばかりのスーパー銭湯に出かけた。週末は混むだろうと月曜日の昼前。840円と言う料金はプールとほぼ同じ。何故かと考えても正解見つけられないので考えない。
 ビックリした。この曜日のこの時間帯50~70人がひしめきあっている。大昔月曜日定休は理髪店だけと思っていたが、老若男性がジェットバス、露天など様々な風呂でゆったり体を癒している。特にジェットバスは良い。左右腕の上下の二段、背中は上中下と三段からのジェット噴出。当てている間左肘の痛みも無くなる感じが気分良い。さて小1時間後、脱衣場も人だらけ。出口で気づくと個人タクシー運転手が、仕事の合間と言うか、自分で時間管理できる強みか、さっぱりした顔つきで営業再開。

 私の肘もこの場では軽い軽い。
このスーパー銭湯を選んだのはもう一つの理由があった。向かいが馴染のベトナム料理店。銭湯のタオルぶら下げ。止まらない汗、軽い体、スカッとした顔で店へ。「富田さんどうしたの」と、普段と身なりが違うので怪訝様。事情話すと「そんなら早く言ってよ」。そして、このスーパー銭湯の無料券、サービス券が出てきた。ラッキー。

 その数日前のある新聞の川柳「老妻を我慢して待つ神田川」。そう、南こうせつの名曲・「神田川」をもじった今の老夫婦銭湯風景。
 私も亡妻と50数年前、同じ体験してたなあ~。風呂帰りの定番はお好み焼き店での冷えたビール。

「後期高齢者に成り立ての左肘よ、よく聞け。50年前は妻と腕を組んでいた左肘だぞ。しっかりしろ。」
2026.02.02 更新
第218回 コブ続編・切除手術入院
 15年前の緑内障手術は、眼の手術という事自身の怖さがあったが、今度は腰のコブ取り。前者は眼の周囲の部分麻酔のみ、事前に1時間ばかりと聞いていた。今度の部位切除は簡単だが大きいので全身麻酔で、2~3時間かかると。全身麻酔は眠らされる訳で、その間夢は見るのかなあ~など呑気な手術台だった。
加えて、入院生活で前者は眼なので新聞・パソコンが全くダメで、世の中の動きがわからず、1日が長く、暇を持て余すのが大変だった記憶がある。今回はその心配はない。
 果たして、その手術。
体位は、右90度にする。つまり右腕右足が下、左腕左足が上、患部(腰の真後ろが)手術台の左で、そこからメスが入り切除する形となる。私の記憶はそこまでで、全身麻酔で即お眠り状態になる。そして3時間後、
【意識朦朧】
 富田さ~ん、富田さ~ん」と遠くから聞こえる声で目を覚まし、手足動かすとベッドは手術台から病室へ移送されていて、私の顔の上の看護士数人と片言喋り、再びすぐ眠った。
そして再び目を覚まし思い出したのは、手術室に入り麻酔直前の看護士との軽口は覚えているが、今しがた最初に目を覚ましたやり取りは全く記憶がない。よくある前の晩飲み過ぎて翌朝覚えていないあの感じだ。
 そこで、「意識」と「記憶」を考えた。
意識は語学的には、自分と周りの状況を正しく認識出来るとある。上記比喩の酩酊状態からはストンと納得。記憶は過去の断面を正確に繰り出せる事。
そこで少しヒャッとしたのは、意識朦朧で発した言葉だ。理性利かず好きに要らん事喋ってなかったか?おお~怖い。
【自由束縛】
 手術直後は、傷口からの膿を取る管、尿を取る管、心電図の数本の管、そして点滴の計4本が体中に巻き付いている。当然傷口は痛い。つまり体が動かない、動かせない状態。手術後から18時間。勿論絶食状態、手術前日の夕、今朝、昼と胃の中に何も入っていない勿論夕食もない。指定された飲料水だけ。病棟の室温は高く乾燥している。苦行だ。
動けない、寝れない、眠れない。手術傷は痛む、暑い…夜が長い、時計の針が進まない…。
 しかしその甲斐はあった。翌日午前患部以外の3本の管が外れた。大袈裟だが、かなり自由の身になった。その翌日、最後の1本、つまり傷の膿収集の管が医師の予定容量に達し、コブの(中の)膿は完全に消え去った。今まで野球ボール半球・お椀の様な腰の後ろは、全く平たんになった。それはまっすぐ天井見て寝れる状態になった事を意味する。

 やがてパソコン開くと、その天井の先の先の天下国家は、全く訳が分からない複雑な状況になっている。選挙後も、私のコブ切除の様に簡単には行かないだろう。
「ムービー軌跡」
千代野基金

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