2025.06.02 更新
第202回 「遠くへ行きたい」


京都梅小路鉄道博物館内の蒸気機関車館。
毎夕4時過ぎの扇状車庫への入替作業は見もの


 この現場で、そしてこの写真でもBGMは、作詞・永六輔、作曲・中村八大、歌・ジェリー藤尾のゴールデントリオの、冒頭タイトルで決まりでしょう。

 で、話は永六輔である。
小欄185回の「街」、長年の京都の夏の風物詩・宵々山コンサートでの永六輔の巧みな話術の謎を知りたくて、一つの帰結がこのタイトルの30分の民放TV番組。
早稲田大学時代、放送作家、作詞家そして旅人として民俗学者・宮本常一を敬愛するプロフィール。つまり全国各地の風習、史跡、民話、邦楽、文化などの素養がふんだんに発揮され、番組開始数年は、旅人(レポーター)番組構成を一人でこなすマルチぶりをふんだんに発揮した。

 Youtubeで探す中で良かった三篇。まず佐渡編。島流しの地と言われる佐渡の歴史、現在に残る風習、民話、地蔵盆そして、世界的な太鼓集団になった鼓童の昔と今。見ごたえがあった。京都編は、嵯峨野・寂庵に瀬戸内寂聴を訪ね、京都の大学紛争時のたまり場・進々堂でコーヒー飲み、自ら店の暖簾に落款した一澤帆布、民芸の河井寛次郎記念館で陶器に触れている。「うーん、『京都』をよくご存知」と脱帽する。最後は山口編。ねじ一本使わず巻金とかすがいと使った技法で独特の曲線の錦帯橋、そして橋梁(きょうりょう)の語源で張(はり)が橋(はし)と呼ばれ、この橋梁は行政上の呼び名だそうだ。漂流歌人の永さんが師と仰ぐ宮本常一はこの周防出身で彼が心がける師の三点の言葉。①人の話の先を行け②風の様に歩け③高い所から全体を一望せよ、だそうだ。
 
 各編興味深い話が続く。
そんな旅番組の草分けだが、ある時番組スタッフの「観光とグルメを入れたい」に断固反対した事、そして番組スポンサーの国鉄に対し、「民営化反対」をハッキリ言明し、この番組から降板させられた経過など話題に事欠かない。当時の前田武彦、大橋巨泉,小沢昭一など骨のある放送文士は言行一致の骨のあるキャラクターが多かった。旅人として、高齢過疎の村人が守り続ける風習伝統文化の現実を見るにつけ、この国の施策との矛盾にぶち当たるが、それを避け当たり障りのない観光グルメ番組で落ち着かせる昨今の作り手。取材された方は自分たちの発言の真意がカットされてはまず見ない、そんな旅番組で良いのかと永さんは問うてきた。…さて、今の旅人はどう思うか?
2025.06.02 更新
新入会員さん自己紹介
ニュースNo.36「新入会員さん自己紹介 その②」より

SIさん

 昨年9月27日夫が旅立ちました。いつもの生活が一変しました。 4月のある日、町内の役員さんから「9月27日にロームシアターで金婚の式典あるからぜひ出席を」とお誘いが あり、夫は「一生に一度の事だから喜んで出席させていただきます」と二つ返事。 その日から指折り数える日々が私たちの目標となり、式典後は子どもたち孫たちと小宴の企画など、記念の一日に なればとワクワクしながら予定を立てていました。
 あと10日で式典と言う日に緊急入院。以前の様に回復し日常を取り戻せると思っていました。9月27日早朝 力尽き、家族の願いも叶わず人生に別れを告げました。 私は夫が亡くなった日に祝いの席に...とためらいましたが思い切ってロームシアターへ向かい、表彰状と記念品を いただき50年間の感謝を込めて夫の胸元に収めました。「これからは自由にと明るい人生を!」と言っているかの ように私の背中を押してくれています。
 腑抜け NO 会に入会させていただいたのも夫の願いだったのかもしれません。 まだまだ受け入れることができない毎日ですが、前向きに現実と向き合い輝やかしい日々が送れますようにと願っ ております。



KYさん(東京)

 東京都に住むKYと申します。どうぞよろしくお願い致します。
夫を見送って 4 年になります。夫は 69 歳で旅立ちました。60 歳に認知症と診断された日から、私の日常は「まさ か!」の坂を転がり続け、最期は自宅で看取りました。亡くなって 4 年経た現在も、この厳しかった 9 年という時間 は止まったままです。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず...」ですが、そこには最愛の夫だけでは なく自分も含めて何もかも失くした喪失感だけが今もなお漂っています。 周囲には「弱虫」「弱者」とは思われたくなくて、家族にも心配かけたくなくて、「寂しい」「つらい」とかいった感情を封 じ込め、脇目も振らず一生懸命走り続けてきたように思います。趣味の能に打ち込み、また「認知症」の家族を支え る会の世話人にもなり、それなりに社会と係わり忙しい毎日を過ごすことで、世の中から孤立しないように努めてき ました。そんな日々に疲れを感じていた頃、ふと自分の周囲の人たちは、自分とは違う世界にいることをあらためて 認識したのです。そのことを素直に認めた時、言いようもないこの世の不条理・不公平さに対する負の感情が押し 寄せてきました。自分でも、「今更どうして?!」と驚きの気持ちでしたが、11 月 24 日に朝日新聞の富田さんの記 事に出会いこう思いました。「そろそろ肩の力を抜いて、自然体で生きることを学んでいかなければ」と。遠方のため 年 1~2 回の参加になりますが、富田さんにご相談しながら「腑抜け NO 会」の一員として、皆様と繋がっていけれ ばと思っております。
2025.06.02 10:31 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
2025.06.02 更新
アオザイ作り


 亡妻が何か飲んでいる写真ですが、問題はこの衣装。
20数年前、よく訪れ仲良くなっていたベトナム・ホーチミン戦争証跡博物館長ヴァン館長(女性)から、「奥さんにアオザイ作ってあげて。」とアオザイ生地をいただき、京都の知人の縫製家が
和風で作ってくれた。以来相応のパーティーなどで着ていた。
 さて、今このアオザイ作りサークルが、日べト京都の女性たちの中で出来ればと思っている。
それでその縫製講師を探している。
「ムービー軌跡」
千代野基金

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