2024.03.15 更新
第173回「しなければならない」
 他人様の言葉の一言一言が妙に気になるのは、年取ってきた証拠かな。
最近の言葉では、「元気と勇気を与える、「逆に元気をもらった」、「寄り添う」。
一句目は、「元気と勇気を感じてもらえれば」位の一歩下がった謙虚さが欲しい。
     あんまり、偉そうに上から目線で言うなとの反感を覚える。
二句目は、そんなひ弱で弱者に接するなんて失礼な。
三句目は、その場しのぎで、最後まで努力し続けるか甚だ不明な事例多い。
などなど。

 さて、気になる語尾に「~かな」と自分の言葉の最後を婉曲、遠慮した言い方がある。
大谷翔平選手も「調子は良い~かなと思う」と「~かな」を入れて、好調ぶりを少し遠慮
気味に言う。一般人では「今日は少し暖かい~かなと思う」。「暖かい」とハッキリ言わず「~かな」を入れて、他人からの指摘を避けるためか、断定しない言い方がある。
 まあ~、これらは害はない程度だ。主語、述語がハッキリして、その間の断定を少しぼやかす程度だから可愛い。ところが、この主語がハッキリしないと、誰の意見?となる。

 つまり、このタイトルだ。主語は一人称の私なのか、二人称の貴方なのか?三人称の彼・彼女なのか?
多いフレーズはこの国の首相の「全容解明しなければならない」、「信頼回復しなければならない」、「批判を重く受け止めなければならない」。…誰が?「周りの人でなく、それは貴方が、でしょう」と言いたくなる。
「私が全容解明します。私が信頼回復します。私が批判を受け止めます」と言えば、責任所在がハッキリする。
 もう一つは、組織体での上層部が、構成員に目標などについて「しなければならない」。これは、構成員への指示なのか、意義を上層部に強調しているのか、不明な場面が多い。
前者でも大体構成員は目の前で下を向き神妙な顔しているが、面従腹背が多い。後者では、上層部の責任のなすりあいで、目があちこちに飛んでいる。

 最後は「心からのお詫び」である。これが「お詫び」だけではダメなのか?何故「心から」を入れる必要があるのか?「心から」が軽く扱われている感だ。「お詫び」して、以前の状況に戻すには過去の倍の努力が必要なのは自明。その具体策は無言。その「心から」が泣いている。
 とにかく、「心からのお詫び」の後の、「しなければならない」言葉が軽く曖昧模糊。
覚悟がないから言葉が曖昧、目は虚ろ。体に言葉が付いていっていない。
 主語が誰がって…?もちろん、この国の首相。
2024.03.15 更新
続・プレ取材
 毎月最終日曜日の深夜の1時間の硬派番組。
一般の人が視れる時間帯でない。かなりコアの人たちだけが視ているが、創られた番組は、かなりTV受賞作品が多い。
 さてそのディレクター氏「何故、高齢者の自殺が増えているのでしょうか?」「高齢者の孤独、死に至る心の軌跡を追いたい」と、やはり難問をぶつけてくる。
 そんな自問自答の中、我々の「腑抜けNO会」を見つけたと言う。
私は、男性介護20年、そして妻の急逝の体験から、「この『会』は、私の生きざまの第二ステージ」と説明し、続けて「日常の高齢者夫婦でも一方を失ったら、まして能登、東北、阪神淡路と、自然災害で伴侶を救えなかった責めが加わると、どうせ短い余生、生きてても無意味と思う高齢者多いでしょう」。
 氏「もう少し関係者の取材続けます」と別れた3月11日午後だった。
2024.03.15 10:01 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
2024.03.15 更新
「能登」被災者
「能登」被災者は、日本人だけではありません。
石川県内の外国人最多がベトナム人。彼らが、県内経済を下支えしています。
そんな彼が、見捨てられて良いわけがない。
3月17~18日、能登の彼らに会います。(その模様は、次号で)


「ムービー軌跡」
千代野基金

- CafeLog -