2025.11.17 更新
第213回 月は見ている
「小さい秋みつけた」は童謡だが、5月から9月位まで延々と続く酷暑と、1~2月の底冷えの間にわずかな秋を感じるここ数年。その変化は10月の1ヶ月に特に感じる。このわずか30日の急激な気温、日の出の変化でそれを実感する。
まず気温だが今年10月度の京都市の最低気温は17度から5度まで下がる。最高気温は25度から15度までこれも下がる。日の出は5:59から6:16へと遅くなる。日の出は文字通り太陽が東山連峰に上がる時刻だが、その前のうっすらと朝が空ける気配、明るくなるのは目の前の東寺の5時の開門時刻でなおハッキリしている。夏は5時の開門前の4時半には明るいが、冬は5時半過ぎでも暗い。ついでに言えば京都市の日の出で夏至は4:44、冬至(東寺と駄洒落風)は7:01。又、中秋名月・10/6、十三夜・11/2は、夜の東寺の五重の塔とのコントラストは抜群。
と、何もJRCM「そうだ、京都に行こう」ではない。
雨天以外はほぼ毎朝、東寺から北へJRを超え歩6~7分の梅小路公園‣芝生広場で体を動かしている身として、起床がゆっくりの方は決してご存知にない、その周辺の早朝光景をお伝えしよう。
まず一番の多いのは犬の散歩。大きい犬は少なく、大谷翔平のデコピンではないがあのサイズやもっと小さい犬が多い。そして若い母親の「公園デビュー」ではないが、犬を仲介にお喋りの輪があちこち。たまに犬にフン処理に疎い人もいるが…。
次は、野良猫への餌やり。一時不衛生な行為が目立ち、注意書き看板もあり減ったが今は、周辺のほぼ決まった茂みで、猫自体が餌欲しさにニャンニャンと鳴いて待っている。対する高齢女性も、見ている限り食べ物と水をキチンと与え終わったら後かたずけしている様だ。
さて、ここまでは予測つくだろうが、次を最初見た時,エッと思った。
日の出どころか明るくなる前、明るいのは公園の灯火しかない時間帯に、自転車のハンドルに数個のスマホを奇妙にくくり付けた高齢男性数人が集合して、灯火の下やそれ以外の場所でスマホ操作談義やっている。それもうっすらと公園が明るくなる頃にはいなくなる。
何なんだと思う。多い人はスマホをハンドルに4個、自分の片手に1個、別の人も個数は違うが同じ風体。何で明るい時間にやらず、暗い時間帯にやるのか、それが快感なのか意味不明。
そんなこんなの夜明け前の周囲300M程の芝生公園。ホッとする行為もあるのだ。
夜明けから日の出までの間、いつも上下黒で手袋、白いビニール袋持って公園をくまなく歩いく男性。そうです、ゴミ拾いしているのです。何度も聞くと嫌がるだろうと思い、一度だけ声かけした。「出勤前に散歩がてら」と謙遜しながらの返答。この公園清掃は、公園愛護協会と、緑化協会というボランティアの「月1回以上」。つまり、月1回の清掃では毎朝必ず落ちているゴミに間尺が合う訳がない、規則通り清掃では毎日綺麗な公園は保たれないのです。こういう男性の無心の行為で、この芝生公園の緑は守られているのです。
人目につかずとも、夜明け前のお月さんはちゃんと見ているのです。
まず気温だが今年10月度の京都市の最低気温は17度から5度まで下がる。最高気温は25度から15度までこれも下がる。日の出は5:59から6:16へと遅くなる。日の出は文字通り太陽が東山連峰に上がる時刻だが、その前のうっすらと朝が空ける気配、明るくなるのは目の前の東寺の5時の開門時刻でなおハッキリしている。夏は5時の開門前の4時半には明るいが、冬は5時半過ぎでも暗い。ついでに言えば京都市の日の出で夏至は4:44、冬至(東寺と駄洒落風)は7:01。又、中秋名月・10/6、十三夜・11/2は、夜の東寺の五重の塔とのコントラストは抜群。
と、何もJRCM「そうだ、京都に行こう」ではない。
雨天以外はほぼ毎朝、東寺から北へJRを超え歩6~7分の梅小路公園‣芝生広場で体を動かしている身として、起床がゆっくりの方は決してご存知にない、その周辺の早朝光景をお伝えしよう。
まず一番の多いのは犬の散歩。大きい犬は少なく、大谷翔平のデコピンではないがあのサイズやもっと小さい犬が多い。そして若い母親の「公園デビュー」ではないが、犬を仲介にお喋りの輪があちこち。たまに犬にフン処理に疎い人もいるが…。
次は、野良猫への餌やり。一時不衛生な行為が目立ち、注意書き看板もあり減ったが今は、周辺のほぼ決まった茂みで、猫自体が餌欲しさにニャンニャンと鳴いて待っている。対する高齢女性も、見ている限り食べ物と水をキチンと与え終わったら後かたずけしている様だ。
さて、ここまでは予測つくだろうが、次を最初見た時,エッと思った。
日の出どころか明るくなる前、明るいのは公園の灯火しかない時間帯に、自転車のハンドルに数個のスマホを奇妙にくくり付けた高齢男性数人が集合して、灯火の下やそれ以外の場所でスマホ操作談義やっている。それもうっすらと公園が明るくなる頃にはいなくなる。
何なんだと思う。多い人はスマホをハンドルに4個、自分の片手に1個、別の人も個数は違うが同じ風体。何で明るい時間にやらず、暗い時間帯にやるのか、それが快感なのか意味不明。
そんなこんなの夜明け前の周囲300M程の芝生公園。ホッとする行為もあるのだ。
夜明けから日の出までの間、いつも上下黒で手袋、白いビニール袋持って公園をくまなく歩いく男性。そうです、ゴミ拾いしているのです。何度も聞くと嫌がるだろうと思い、一度だけ声かけした。「出勤前に散歩がてら」と謙遜しながらの返答。この公園清掃は、公園愛護協会と、緑化協会というボランティアの「月1回以上」。つまり、月1回の清掃では毎朝必ず落ちているゴミに間尺が合う訳がない、規則通り清掃では毎日綺麗な公園は保たれないのです。こういう男性の無心の行為で、この芝生公園の緑は守られているのです。
人目につかずとも、夜明け前のお月さんはちゃんと見ているのです。
2025.11.01 更新
第212回 ロイヤル・アルバートホール
先月大相撲ロンドン公演が行われたこのホール、英国一の音楽ホールで音楽家の憧れの舞台だそうだが、最初名前だけ聞いた時はわからなかった。
しかし、建物外観をどこかで見たような…?
思い出した!1990年代の英国の映画「ブラス」のタイトルバックの建物だ。
炭鉱労働者の闘いをヒントにした映画で、過酷な労働環境を是正すべく仲間に呼びかけるも会社側の切り崩し、仲間の裏切り、貧困家族の不和・崩壊などを描きつつ、この炭鉱労働者の唯一の絆が吹奏楽団。ちなみに何故トランペットなど吹奏楽器なのかと言うと、炭鉱現場で彼らの肉体、つまり肺機能がやられるのを防ぐために、その機能回復のためにも吹奏楽だと映画を観た当時知った。
様々な困難の中、彼らはこのロイヤル・アルバートホールで英国一を競うコンクールに出場。最後の決勝戦の曲目は「ウイリアムテル序曲」。そう~、私の世代が小学生の頃の人気の米西部劇TV「ローンレンジャー」のタイトル曲だ。黒い仮面をつけ白馬で走る映像と共に覚えている。高校生位まで、あの曲は番組の主題曲だとも思っていた。
さて彼らは見事優勝し、そのトロフィ授与でこの楽団は、政府の労働者分断を批判し、その事で団員家庭をも崩壊させた厳しい事実を突きつけ、受取りを拒否した。その直後、彼らはロンドンの街に出てパレード演奏したのが英国第二国歌と言われる「威風堂々」。感動的なラストシーンだった。
実は同じように、日本の炭鉱労働者を励まし続けた音楽家が日本にもいた。
1950~60年代、国のエネルギー大転換で未曾有の労働争議になった、私の故郷に近い福岡の三井三池炭鉱闘争で、自らも炭鉱労働者だった荒木栄だ。日本の労働歌の草分けで、今でもメーデーでは「がんばろう」など荒木の歌は唱和されている。
エピソード的に続けると、それまで日本の労働組合の大会閉会時は「万歳三唱」で終わっていたのが、この歌がきっかけで「団結がんばろう三唱」になり、それが今でも続くだけでなく、労働歌などとは真逆の世界の自民党などの保守政党でも、大会閉会時はこれで終わっていると言うから奇妙な話だ。何でも組織の高揚時は「万歳三唱」で良いが、苦難時から反転攻勢に転じる場合にこの「団結がんばろう三唱」となるらしい、と聞くと少しガッテン。
そんなこんなを回想しつつの今の瞬間。「馬車馬のように働く」と宣言し、我が国初の女性首相になった方は、早くも労働時間規制の緩和を打ち出した。命守る働き方なんて甘っちょろいのでしょう。「強い経済」、「日本列島を強く豊かに」を連呼。何せ尊敬するのは弱肉強食・新自由主義を推し進め、「英国の鉄の女」と言われたサッチャー首相だもの。
見捨てられたように遅々として進まぬ奥能登の復旧や、高いコメ食べられぬ「弱い国民」は、自助努力しかないのだろうか?
しかし、建物外観をどこかで見たような…?
思い出した!1990年代の英国の映画「ブラス」のタイトルバックの建物だ。
炭鉱労働者の闘いをヒントにした映画で、過酷な労働環境を是正すべく仲間に呼びかけるも会社側の切り崩し、仲間の裏切り、貧困家族の不和・崩壊などを描きつつ、この炭鉱労働者の唯一の絆が吹奏楽団。ちなみに何故トランペットなど吹奏楽器なのかと言うと、炭鉱現場で彼らの肉体、つまり肺機能がやられるのを防ぐために、その機能回復のためにも吹奏楽だと映画を観た当時知った。
様々な困難の中、彼らはこのロイヤル・アルバートホールで英国一を競うコンクールに出場。最後の決勝戦の曲目は「ウイリアムテル序曲」。そう~、私の世代が小学生の頃の人気の米西部劇TV「ローンレンジャー」のタイトル曲だ。黒い仮面をつけ白馬で走る映像と共に覚えている。高校生位まで、あの曲は番組の主題曲だとも思っていた。
さて彼らは見事優勝し、そのトロフィ授与でこの楽団は、政府の労働者分断を批判し、その事で団員家庭をも崩壊させた厳しい事実を突きつけ、受取りを拒否した。その直後、彼らはロンドンの街に出てパレード演奏したのが英国第二国歌と言われる「威風堂々」。感動的なラストシーンだった。
実は同じように、日本の炭鉱労働者を励まし続けた音楽家が日本にもいた。
1950~60年代、国のエネルギー大転換で未曾有の労働争議になった、私の故郷に近い福岡の三井三池炭鉱闘争で、自らも炭鉱労働者だった荒木栄だ。日本の労働歌の草分けで、今でもメーデーでは「がんばろう」など荒木の歌は唱和されている。
エピソード的に続けると、それまで日本の労働組合の大会閉会時は「万歳三唱」で終わっていたのが、この歌がきっかけで「団結がんばろう三唱」になり、それが今でも続くだけでなく、労働歌などとは真逆の世界の自民党などの保守政党でも、大会閉会時はこれで終わっていると言うから奇妙な話だ。何でも組織の高揚時は「万歳三唱」で良いが、苦難時から反転攻勢に転じる場合にこの「団結がんばろう三唱」となるらしい、と聞くと少しガッテン。
そんなこんなを回想しつつの今の瞬間。「馬車馬のように働く」と宣言し、我が国初の女性首相になった方は、早くも労働時間規制の緩和を打ち出した。命守る働き方なんて甘っちょろいのでしょう。「強い経済」、「日本列島を強く豊かに」を連呼。何せ尊敬するのは弱肉強食・新自由主義を推し進め、「英国の鉄の女」と言われたサッチャー首相だもの。
見捨てられたように遅々として進まぬ奥能登の復旧や、高いコメ食べられぬ「弱い国民」は、自助努力しかないのだろうか?





