2024.07.01 更新
第180回 「関心領域」
 この国で、この映画の事をコメントするにふさわしいと思い、久しぶりにTELした。
それは、福島県白河にあるアウシュヴィッツ平和博物館。(小欄一部191回192回)館長「ここは田舎で映画館が無いのでまだ観ていない」と。
 その点では、まだ京都の方が恵まれてると思い、翌日観に行った。ネットや映画論評で大方の予測は出来、映画自身はその範囲だったが、驚いたのはこの映画館、言われる独立系・アート系で、大手配給作品でないので、作品が良くてもいつもガラガラ。それが何と!160席の大半が埋まっている。初めての事だ。まだまだ日本の映画ファンも捨てたものでないと実感。
 それにしてもこの和訳はピカ一だ。そもそもナチスは収容所一帯をこう呼んでいたと言うが、今日的には新語だと思う。恐らく今後、社会運動的にはこの言葉は使われていくだろう。つまり真逆の「無関心領域」と共に。

 映画はほぼ史実だから怖い。アウシュヴィッツ収容所所長一家の優雅な生活は、塀一つ隔て、まもなく虐殺される囚人の毛皮のコート、口紅、金歯が持ち込まれる…。壁の中では連日悲鳴、銃声。遺体の黒煙が上がるのがこの一家からも見えるが、全く無関心の世界。この異常は恐怖を通り越し、人間は他人の痛みに気づかぬふりして生きているのかもしれないという問いかけには戦慄しかない。この夫の配転の命令が下ると、妻は激しく抵抗する。安全圏での裕福な暮らしをそう簡単に手放そうとしない人間の性。
 他人の痛みを感じない。気づかぬふりをする。関心を持たない。聞き流す。何も考えない。
…段々と恐ろしくなる。

 元日の能登地震。石川県の農業・漁業・観光業などで経済の下支えをしているベトナム始め外国人労働者も当然被災している。地震は国籍選ばない。メディアは日本人の被災状況は伝えるが、外国人被災者情報はほぼ皆無。5ヶ月経った今も実態すら不明。それは行政担当の出入国在留管理庁が、「本来の仕事していない」(野党国会議員談)
平時、能登の町々では日本人と外国人労働者の暮らしの助け合い=共生が進んでいると言うのに…。更に言えば、日本人が嫌がる昔で言う「3K職場」は今、安価でも劣悪でも良しとする、外国人労働者で成り立っている。しかしこれが今後も続くのだろうか?つまり日本に来る、特にアジア労働者が来なくなったらどうなる。送り出す国が国策として、日本でなく他国を選び出したらどうなる?迎えるこの国は少子高齢化が世界的にも顕著。つまりこの国の底辺の労働市場は地震でないが、すでにぐらつき始め、その予兆は少しづつ見えてきている。
 人様の労苦で一部の裕福が保たれる時代ではないのだ。その無関心は数倍返しでやってくる。

…なので、今回のこのタイトルの問うものは大きい。
能登だけでなく、我々の身近な暮らしの様々な場面で、この「無関心」に出くわす。
人間はそれだけ尊大になったか、他人の痛み苦しみが想像できぬか?!
そして、この「無関心」は見過ごせば、その結果で得をする連中の思う壺になるのを忘れてはならない。つまり無関心から関心に転換さす努力がいるのが、厄介だがやるしかない。
 つまり人間社会の幸不幸は紙一重。気づいた者が、まず一人から警鐘鳴らすしかない。
古今東西幾多の歴史がそう教えている。
「ムービー軌跡」
千代野基金

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