2024.06.01 更新
新シリーズ 「健康法・生きがい」その2

その2  健康法は、自然体で



 73年間ずっと自然体の体だ。
中学高校で特にスポーツはやっていなかった。大学と言っても「学生生活」は全くなかった。普通勤労学生と言えば美談みたいだが、実の所販売店の奴隷の様な生活だった。朝夕の配達から集金、拡張を強いられ、とても学校に行く時間がない。体がついていかない。その気力もなくなる。販売店辞めたら、学費請求が来る。4年間の新聞店労務と学費免状がバーターになっている新聞奨学生制度。逃げるに逃げられない。勿論故郷にも戻れない。体力以前に精神不安定、ノイローゼが周りに出てくる。店の専業員から始まって給料遅配から無配は、奨学生にも及ぶ。集金持ち逃げ、失踪の繰り返し。挙句の果てに店主家族の夜逃げ。我々学生は取り残された。その中で私は学生の最年長。結果、店の切り盛り役になってしまった。新聞発行元は「新聞社と販売店は別会社」と、何の援助もしない。体より精神が参ってくる。勿論真面なものは食っていない。早々と酒を覚える。しかしそこで止まったから良かった。煙草は吸っていない。生まれてからこの体(肺)に、一服たりとも煙草は入っていない。

 「学生でない学生」の4年間は終わり、早朝の新聞配達で知り合った千代野さんとの結婚は学生の分際だった。以降、広告会社20年、旅行会社30年。三人の子供に恵まれての結婚24年目=1996年、妻が倒れる。以降20年間の介護生活。つまり私は健常な妻と24年間、障害持った妻と20年間過ごしてきた。学生時代同様この夫婦間も稀有な体験してきた訳だ。

 先に自然体と言った。何かをやる自由な時間とお金がなかった青年期。だから、道具に金かかかる野球などはダメ。なので結婚後、徐々に自然体で体を動かす事になる。30歳過ぎから走る事になる。ホノルルマラソンなどフルマラソンも幾度も走ったが、腰痛で今度は泳ぐ事。16年前まで泳ぎは1500mもやれた。(拙ブログ「千代野ノート」252回参照

 73歳の今、季節ごとの眼と歯の定期検診のみで、健康サプリなども体には一切入っていない。自然な体作りと、自然な生き方、それらを伸ばし、妨げる物にはキチンと対応する生き方は今後も続く。天国に行って悔やんでも仕方ないから。
2024.06.01 10:01 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
2024.06.01 更新
機関紙「日本とベトナム」5月号
京都のM氏、会員に。

2024.05.15 更新
第177回 個人競技
 個人競技でもボクシングは引き分けがあり、複数の審判の判断で勝ち負けが決まる判定がある。野球でも引き分けがある。それぞれ1時間半くらい戦っての勝ち負けがつかない場合引き分けという結果になる。戦っている選手には、お疲れ様としか言いようがないし、本人たちもその日は白黒つかないので肉体的、精神的に消化不良だろう。
 と、いう風に考えていくと、通常数秒、長くて1分位で、勝ち負けがつき、引き分けのない競技が相撲だ。勝負が微妙でも土俵下の審判が、即勝ち負けを決める。決まらなければその場で取り直しさせ、必ず決着を付ける。

 もう一点。
複数の試合の内容と結果を、その日まとめて決着を見届けられる競技も相撲だ。
その日の幕内の約20番(TV生観戦で2時間)の結果だけでなく、全ての内容を全部再度見ることができる。野球やサッカーではこうはいかない。1時間半ばかりの野球、サッカーだと、勝負のポイントになったダイジェスト部分だけを見るだけだ。つまり、チームの誰かが打った、投げた、ゴールしたと。特に極端なのは、その特定の個人選手のみの活躍ばかりで、その集団競技(チーム)の結果はどうでも良い事がある。誰の事かもうおわかりにように、大谷翔平の場合だ。大谷がホームラン、ヒット打てば良い、チームが勝とうが負けようが。昨年までの「なおエ(エンゼルス)」がそれだ。

 前置きが甚だ長くなった。
「栃若」、「柏鵬」「輪湖」「若貴」時代と大相撲の興隆を伝えるワードが懐かしい…。その50年位の相撲の攻防が全て見れるTVダイジェストのYoutubeは便利だ。立ち合いで両手をキチンとついているかの50年の変遷も見れる。当時の取組を見て、事実として言えるのは何より勝負への執念、つまり熱戦が多いのが最大の特徴。簡単に勝負がつかない。更に気づくのは、怪我を押しての強行出場は必ず、大きなつけがあるって事。貴乃花、稀勢の里と記憶に新しい。現瞬間では先場所大旋風の尊富士。今でも稽古ができていない。夏場所は全休すべきだ(結果、そうなった。当然だ)。
 プロスポーツの活躍は約20年間。短いようだが長く貴重な時間の使い方がプロ選手に求められる。その相撲は、一瞬の勝負に賭ける200キロ前後の頑強な男の激突だから、生半可な稽古では土俵にあがると体が潰される。
ある現役力士が言う「立ち合いは、小型車相手の激突と一緒です。むち打ちの恐怖が毎日です」。立ち合いと言う静から動への一瞬で、勝負の大勢は決まる。試合の流れの中で、集団でスクラム組むラグビーでもないし、個人の柔道、レスリングとも違う。唯一無二の面白さがそこにある。
 だから私は。栃若の大勝負直後の「分解写真でもう一度」(今の様な録画がなく、写真を組み合わせた白黒のパラパラ漫画の様な物)時代から、つまり九州での小学校時代つまり60数年前からのファンであり、当時のヒーロー大鵬の出身地は、北海道の弟子屈(てしかが)と今も言える。
「ムービー軌跡」
千代野基金

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