2025.03.17 更新
週刊現代 2月15日号(その2)
週刊現代 2月15日号『あなたの隣の「移民たち」後編』より
前号と同じ、「週刊現代」特集より。
紙面の出典資料は、「在留外国人統計」と「国勢調査」。
京都府下周辺で感じる外国人増加が、これら公の調査からも裏打ちされている。
2025.02.17 更新
男性用アオザイ
本来は左(上)の写真の20歳代の司会者の男性の様に、すらっと高級感のベトナム民族衣装のアオザイ。それを右(下)の74歳が着ると、まるで白衣のやぶ医者風。アア~、台無し。
1月26日、春節(旧正月)祝う、VYSA京都(在京都ベトナム青年学生会)パーティ会場にて。
※スマートフォンでは写真は上下に表示されます。
2025.02.01 更新
ベトナム人向けミニFM局(阪神淡路大震災)
前号本文(「一人になった千代野ノート」)の想いを持ち続け、1/17、30年になる「神戸」に一日居た。
9:00に、当時火災でほぼ全焼(能登・輪島朝市通りと同じ)の長田から歩き始めた。そして昼前、神戸市立図書館資料室で地元紙(神戸新聞)をゆっくり操作した。
これらの新聞は当時自らも被災者だった神戸新聞記者の原稿を、神戸から必死の陸送で京都新聞に運び、京都新聞社で製販、印刷し、神戸へ逆配送の日々だった。
自分でマイクロフィルムをゆっくり回す。1995年3~4月の朝刊,夕刊の計61日分、結果2時間半かかった。その1枚がコレ。
1995年4月19日朝刊。
「都会の神戸だから外国人への情報支援が出来た」とは言いたくない。
能登でも何か策はないか?!と、正直焦る。
その後、JR元町(元職場)、三ノ宮の東遊園地の灯篭群へ。
一日歩いた。しかし、30年前はがれきと、目ぼしい建物が倒れたり傾きの中でどっちに歩いているのかフラフラだった記憶がある。
9:00に、当時火災でほぼ全焼(能登・輪島朝市通りと同じ)の長田から歩き始めた。そして昼前、神戸市立図書館資料室で地元紙(神戸新聞)をゆっくり操作した。
これらの新聞は当時自らも被災者だった神戸新聞記者の原稿を、神戸から必死の陸送で京都新聞に運び、京都新聞社で製販、印刷し、神戸へ逆配送の日々だった。
自分でマイクロフィルムをゆっくり回す。1995年3~4月の朝刊,夕刊の計61日分、結果2時間半かかった。その1枚がコレ。
1995年4月19日朝刊。
「都会の神戸だから外国人への情報支援が出来た」とは言いたくない。
能登でも何か策はないか?!と、正直焦る。
その後、JR元町(元職場)、三ノ宮の東遊園地の灯篭群へ。
一日歩いた。しかし、30年前はがれきと、目ぼしい建物が倒れたり傾きの中でどっちに歩いているのかフラフラだった記憶がある。
2025.01.06 更新
北國新聞、昨年末26日付
昨年能登現地入りは2回、その間も様々にベトナム人含む外国人被災者情報を取っていたが、県内でこの中能登町と隣の七尾市が外国人との共生という点で優れている。写真の記事もそうだが、日頃から日越の文化、語学交流が防災訓練に繋がり、実被害時功を奏した事例を多く見聞した。











