2024.06.15 更新
腑抜けNo会ニュースNo.31

2024.06.15 10:01 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
2024.06.01 更新
新シリーズ 「健康法・生きがい」その2

その2  健康法は、自然体で



 73年間ずっと自然体の体だ。
中学高校で特にスポーツはやっていなかった。大学と言っても「学生生活」は全くなかった。普通勤労学生と言えば美談みたいだが、実の所販売店の奴隷の様な生活だった。朝夕の配達から集金、拡張を強いられ、とても学校に行く時間がない。体がついていかない。その気力もなくなる。販売店辞めたら、学費請求が来る。4年間の新聞店労務と学費免状がバーターになっている新聞奨学生制度。逃げるに逃げられない。勿論故郷にも戻れない。体力以前に精神不安定、ノイローゼが周りに出てくる。店の専業員から始まって給料遅配から無配は、奨学生にも及ぶ。集金持ち逃げ、失踪の繰り返し。挙句の果てに店主家族の夜逃げ。我々学生は取り残された。その中で私は学生の最年長。結果、店の切り盛り役になってしまった。新聞発行元は「新聞社と販売店は別会社」と、何の援助もしない。体より精神が参ってくる。勿論真面なものは食っていない。早々と酒を覚える。しかしそこで止まったから良かった。煙草は吸っていない。生まれてからこの体(肺)に、一服たりとも煙草は入っていない。

 「学生でない学生」の4年間は終わり、早朝の新聞配達で知り合った千代野さんとの結婚は学生の分際だった。以降、広告会社20年、旅行会社30年。三人の子供に恵まれての結婚24年目=1996年、妻が倒れる。以降20年間の介護生活。つまり私は健常な妻と24年間、障害持った妻と20年間過ごしてきた。学生時代同様この夫婦間も稀有な体験してきた訳だ。

 先に自然体と言った。何かをやる自由な時間とお金がなかった青年期。だから、道具に金かかかる野球などはダメ。なので結婚後、徐々に自然体で体を動かす事になる。30歳過ぎから走る事になる。ホノルルマラソンなどフルマラソンも幾度も走ったが、腰痛で今度は泳ぐ事。16年前まで泳ぎは1500mもやれた。(拙ブログ「千代野ノート」252回参照

 73歳の今、季節ごとの眼と歯の定期検診のみで、健康サプリなども体には一切入っていない。自然な体作りと、自然な生き方、それらを伸ばし、妨げる物にはキチンと対応する生き方は今後も続く。天国に行って悔やんでも仕方ないから。
2024.06.01 10:01 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
2024.05.15 更新
新シリーズ 「健康法・生きがい」その1

色んな解釈の「健全な精神は、健全な肉体に宿る」


 昔からこの言葉は使われるが、この文言通りとか、これは風刺、願望とか古今東西かまびすしい。

 今年の「腑抜けNO会新年会IN宇治」で、私は元日の能登地震に言及して、29年前の阪神淡路大震災時の数々の体験で、「男はつらいよ48作・紅の花」と、私の関わりを紹介した。(拙ブログ「千代野ノート」166回 10年前の震災 その③ 参照)
 JR元町駅前の私の職場も無茶苦茶の中、同じ被災者同士の一杯飲み会で、誰かが「今度の『寅さん』は奄美が舞台らしい。『寅さん』神戸に来てくれへんかなあ。神戸は『奄美神戸会』もあり、出身者も多い土地柄。」、別の人は「そんなもん出来るわけがない。もう映画の構想は進んでいる」。…しかし、被災地激励に、実存する人物でなく、映像の中の架空の人物が神戸に来てくれたら、どんなに励まされることか…。この話しはすぐに地元の神戸新聞に「『寅さん』神戸に来て!」と掲載された。
 私(たち)が書いた素人シナリオを、直接山田洋次監督に手渡すチャンスは5月の京都。私は一人緊張しながら黒縁メガネの監督に向き合った。監督は「これは、貴方が書かれたのものですか?」、私「ハイ、素案は私が書きました」。部屋を出て、当然ダメと思っていた。…、しかし1~2月後「『寅さん』が神戸に来る!監督が48作シナリオを変更して、実際の神戸被災地を撮る」との吉報で神戸が沸いた。そして素人シナリオは、映画のラストの場面で採用された。長田・菅原市場焼け跡地でのハンマダンの踊りの輪に中に「寅さん」が来た。その映画の最後のセリフでもあり、この作品が遺作となった渥美清さんの最後のセリフ「皆さんご苦労様でした!」。「寅さん」が被災者へ、且つ渥美清の日本国中への遺言の様な一言。

 スタッフ、キャスト誰も気づいてない中、死期が近いと悟っていた本人渥美清と山田洋次監督二人だけの渾身の最後のシーン作り。だからこの48作全編を注意してよく観て欲しい。渥美さんが立って動くシーンはほとんどない。唯一この最後のシーンで、「寅さん」はいつものトランク持って、雪駄で現実の神戸の被災地に立ち、歩いたのだ。

 人間、人知れず不健全な体でも他人様のため、自分の仕事の立ち位置から、人々に激励を、その精神を贈ることができる。私はこの映画作りの生き証人として、それだけは言える。
2024.05.15 10:01 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
2024.05.02 更新
腑抜けNo会ニュースNo.30
腑抜けNo会ニュースNo.30
2024.05.02 10:22 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
2024.04.15 更新
こぼれ話
4/6の総会報告のニュース作成中での、こぼれ話。
 京都の華道の一つ、池坊・六角堂の近くの日本料理店での24人参加の総会・昼食会が無事済んで、忘れ物などをチェックしてお店の仲居さんに挨拶したら、参加者の一人と懇意と言う。
 先ほどまでの昼食会会場で、その彼女と90歳超えた男性会員が、「アンタ、何故ここにいるの?!」とお互い指差し声を挙げたと。
 聞けば、この老男会員の娘さんがやっている京都の料飲店は、我が家の近くの東寺が見える所にあり、その大家さんの子供さんがこの仲居さんで、飲み友達だったようだ。更にその大家さんはこの高齢会員通じ、私とも一度お店で杯を重ねたようだ…。世間は狭い。
 最後に彼女曰く「ならば、私も旦那亡くなったらこの『会』に入れてもらおう」
 私「お待ちしています」。
(次号は、その総会模様をお伝えします)。
2024.04.15 10:21 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 腑抜けNo会
「ムービー軌跡」
千代野基金

- CafeLog -