2024.05.02 更新
第176回 尺八
 「尺八は、この楽器の長さが一尺八寸で、それが由来です」。会場の私と同年配の20数人から「へぇ~」。そんなものだ。案外知らない名前の由来。まして尺、寸なんて大昔の計量なので、現代は知り由もない。
 その会場とは、水上勉「五番町夕霧町」で有名な地域で、小さい寺が多いのかも疑問だったので住職に聞くと、「豊臣秀吉が大火の防火地域として、密集する一般家屋より広い寺を創ったと言うが定かでない」と。

 私は25年前(1999年)の5月3日(憲法記念日)に茂山千ノ丞、観世榮夫さんをメインにした「反核能と狂言の集い」(in金剛能楽堂)企画の事務局長をやったので、その構成の中で、開演を知らせる一本の笛の、会場をつんざく響きに感嘆した記憶があり、今回の尺八演奏に興味があったので出かけた。
 先程の名前の由来に加え、尺八と言う楽器のそもそもの話が、参加者にストンと落ちた。竹と言う自然の樹木から出来ているので、自然に調和する音色を貴ぶ。だから大自然、悠久の世界に誘う音色、西洋8音階の、ミとシがないので、奏者の舌と首を若干動かす仕草でその音を出す。八寸より長い尺八は低い音域の曲、逆に短い尺八は高い音域の曲と使い分けるとも。楽器も奏者もその日その日の気候、体調などで音が微妙に違うのだと。(まあ~素人にはわからない)だから、楽譜も独特。これも素人では全くわからない。わかるのは、独特の音色でちょっと入り込む瞑想的な世界だ。

 今回の企画は、風の音の様な尺八の響きと、これも風の音の様な刃・殺陣の所作のコラボ。
これも初歩的な驚きは、武士は必ず右利き(左利きの子は矯正させられる)で、抜くのは鞘を握る左腕で構え右腕で抜く。逆に言うと、面する相手への信頼所作の場合は、刀を自分の右に置き、相手に刀を即抜かないという意思表示だと言う。なるほど合点。足運び、受け身、袈裟斬り,居抜き胴などいろんな形も知った。加えて、瞬時で勝負は決まるので、息が上がる武士はいない。それは今も剣道の試合見ればわかるし、面を付けていない真剣での申し合いでは剣さばき以前に、双方の息遣いを見ればすでに勝負が決していると言う。
そんな視点の映像、つまりカットなし(俳優の休憩なし)で、勝負がつくまでの申し合いの時代劇はいくつあるか?否、無い。息がどんなに上がっても、どんなに腕や足がふらついても、お互い何ヶ所か傷つき血があふれていても、切り殺す最後まで、人間が生き残るかどうかの生身の勝負は、映画では作れない。

 竹光の殺陣はあくまで所作・演技であり、真剣は生きるか死ぬかの武器。
人間を死に追いやる行為は、ドロドロの凄惨な修羅場でしかない。個人の戦いしかり。
これが国同士なら言わずもがなである。今、「マリウポリの20日間」観ながらそう思う。
2024.05.02 更新
機関紙「日本とベトナム」に掲載
2024.05.02 更新
腑抜けNo会ニュースNo.30
腑抜けNo会ニュースNo.30
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