2026.04.15 更新
第223回 苦しい人と共に
最近知り合った人から意外な一言、「私30年位前、近くの区役所の福祉事務所で働いていたんです。だから富田さんとは、当時役所ですれ違っていたかもね…」。
確かに、妻が倒れた96年から翌年にかけてよく区役所には相談に足繁く通っていた。それでも「お宅の奥さんは50歳と年が若く、概ね65歳以上を対象とする京都市の高齢者施策からは『若すぎて無理』です。施策外です」と事も無げに切り捨てられていた。担当者が違えども同じ回答の繰り返し。
そんな時期に、この目の前の彼女は同じ空間に居たんだ。実はこの彼女の「会」で4/19講演するのだ。妻が最初に倒れた日=4/19.に。…不思議な気がする。
この後の彼女の話が面白い。
生活保護担当だと色んな人が窓口に来る。生活困窮者は当然として、巷でよく言われるその保護費目当ての不逞の輩も。その当時の幾多のマニュアル聞くと漫才風で笑いが止まらない。更に彼女は、目の前の生活困窮者に情が移るとどんどん深みにはまる、さりといぇ制度を盾に深入りしない…。などこんな仕事続けていたら精神的に参ってしまうと退職の時期を伺いつつ、退職理由として仕事の失敗とまで考えていた。なので不逞な輩との対応も苦にならず、逆にそれで失敗したらめでたく辞めれると、変な覚悟、肝が据わった対応が、皮肉にも仲間上司から評価され頼られ続けたと言う。人生皮肉な物だ。
その彼女から「20年位前、大阪の西成地区から多く相談に来た時期があった。何でも今のJR西大路駅近くの病院は、貧乏人に優しく親身に相談に乗ってくれると西成で評判になり、仲間内で交通費出し合って大阪から京都まで来る。そして病院の相談員が、当事者とよくこの役所の窓口に来ていた…」私はピンときた「その相談員ってSさんでしょう」。ビンゴだった。
困窮者は恩を忘れない。
2008年京都市南区市議補選、Sさんは請われるままに出馬し一騎打ちで見事当選。
相手は、まだ現場の苦労も知らない保育園経営者の二世。この候補者二人の履歴で、勝負は既についていた。当時S選対が付けたフレーズ・「生活相談1万件のSさん」得票数は何故かほぼ同数だった。
このSさんも中々の強者で、二期だけ市議をやり「議会の堅苦しい質疑だけでは貧者は救われない。やっぱり自分は現場が似合っている」と三期目を勇退し、今でも生活困窮者のために、「年取って足腰痛い」と言いつつ、ママチャリで南区を動き回っている。
覚悟の座った人は強い。
確かに、妻が倒れた96年から翌年にかけてよく区役所には相談に足繁く通っていた。それでも「お宅の奥さんは50歳と年が若く、概ね65歳以上を対象とする京都市の高齢者施策からは『若すぎて無理』です。施策外です」と事も無げに切り捨てられていた。担当者が違えども同じ回答の繰り返し。
そんな時期に、この目の前の彼女は同じ空間に居たんだ。実はこの彼女の「会」で4/19講演するのだ。妻が最初に倒れた日=4/19.に。…不思議な気がする。
この後の彼女の話が面白い。
生活保護担当だと色んな人が窓口に来る。生活困窮者は当然として、巷でよく言われるその保護費目当ての不逞の輩も。その当時の幾多のマニュアル聞くと漫才風で笑いが止まらない。更に彼女は、目の前の生活困窮者に情が移るとどんどん深みにはまる、さりといぇ制度を盾に深入りしない…。などこんな仕事続けていたら精神的に参ってしまうと退職の時期を伺いつつ、退職理由として仕事の失敗とまで考えていた。なので不逞な輩との対応も苦にならず、逆にそれで失敗したらめでたく辞めれると、変な覚悟、肝が据わった対応が、皮肉にも仲間上司から評価され頼られ続けたと言う。人生皮肉な物だ。
その彼女から「20年位前、大阪の西成地区から多く相談に来た時期があった。何でも今のJR西大路駅近くの病院は、貧乏人に優しく親身に相談に乗ってくれると西成で評判になり、仲間内で交通費出し合って大阪から京都まで来る。そして病院の相談員が、当事者とよくこの役所の窓口に来ていた…」私はピンときた「その相談員ってSさんでしょう」。ビンゴだった。
困窮者は恩を忘れない。
2008年京都市南区市議補選、Sさんは請われるままに出馬し一騎打ちで見事当選。
相手は、まだ現場の苦労も知らない保育園経営者の二世。この候補者二人の履歴で、勝負は既についていた。当時S選対が付けたフレーズ・「生活相談1万件のSさん」得票数は何故かほぼ同数だった。
このSさんも中々の強者で、二期だけ市議をやり「議会の堅苦しい質疑だけでは貧者は救われない。やっぱり自分は現場が似合っている」と三期目を勇退し、今でも生活困窮者のために、「年取って足腰痛い」と言いつつ、ママチャリで南区を動き回っている。
覚悟の座った人は強い。




