2025.01.06 更新
第192回 太く短く、細く長く
 人間の生き様で使われる言葉だ。
さしもの今号は2025年新年号だが、更新が松の内明けで次の更新が15日だから短い運命。短いと言えば昨秋からの北國新聞購読がそうだった。昨年末で止めた。石川県断トツ有力紙、9月新聞社訪問時すぐに関連記事コピーが出てきたので、その後の外国人被災者の記事も期待した。しかし3ヶ月間毎日隅から隅まで目を凝らして読んだが、一回も載らず。
現地の支援機関は数回各新聞社へ情報発信していたが…。県内のもう一つの地元紙には載ったと言うのに。だから昨9月の豪雨災害時から一切外国人被災情報は得られなかった。それらの理由を付けて、あの時会った記者に一言添えて購読中止を通知した。その記者から返信はない。太く短い購読だった。

 翻って、11月下旬の朝日新聞全国版の「腑抜けNO会」記事。掲載日の夕方「秀ボンね、Rよ、わかるね?」私、訛りから九州だとはわかった。しかしRと言う姓は中学生同期はいるが、どうも声が違う。次にRのフルネームでやっとわかった。唐津の実家の隣家のRさん。9歳上。60年ぶり位だから声も忘れていた。その時は双方バタバタの最中で短時間のTEL、「Rさん朝日新聞取ってたの」と言うのが精一杯。1週間後にやっと落ち着いたTELで先方の様子が分かった。
 RさんはNTT九州に就職。30年前の阪神淡路大震災時、神戸・六甲地域で3ヶ月NTT復旧応援に入った。一段落した頃、娘さんが神戸大学受験希望、父のRさんは復旧復興中の神戸住まいを懸念し、他府県の進学を勧めたが見事合格。娘さんはRさんの応援部隊の寮みたいな所に住んだと言う。そして、卒業後司法の道へ。現在、佐賀市の法律事務所所属で、何とこの事務所「玄海原発訴訟団」の事務局事務所。私もこの訴訟に貧者の一灯していた。何という奇縁。
つまり30年前、被災企業の一員の私、神戸のNTT復旧活動のRさん、そしてその娘さんは神戸大学在校、この3人は30年前同じ神戸の空の下、お互いの未来を信じて暮らしていたのだ。
細く長い朝日新聞購読が60数年ぶりのTEL再会となり、加えてその娘さんとはFAX初交信。今度は娘さんが興奮して「エエッ!唐津の祖父母の実家の隣の富田さん。訴訟団カンパ一覧にお名前ありました」。このRさんから娘さんへの「細く長く」は、NTTならぬ未来へつながる新たな導線となるだろう。
「ムービー軌跡」
千代野基金

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