2024.12.16 更新
第191回 トラックドライバー
四季の移ろいは、早朝梅小路公園で体を動かしている私からすると、夜明けの変化で分かる。冬は6時でもまだ辺りは真っ暗、夏は東寺の開門の5時にはすっかり明るい。
その東寺東門から南に下がった車道には、工事や食品車両が目的地の開門前で、毎朝数台が北向きに待機している。その金沢ナンバーの大型トラックもその内の1台。
3月、初めて能登・羽咋、七尾支援に行った後から少し気にはなっていた。かなり気にし出したのはやはり9月の豪雨(二次、複合)被害から。気にし出すと、いつ並んでいるかと毎朝歩道をウィーキングしながら見ていた。どうも2~3週間に1回くらいのペースの荷物入荷と思われた。
11月中旬のまだ薄暗い6時過ぎの朝見つけた。自宅に取って返し、北國新聞記事などを封筒にしたため、再度トラックのもとに。身長より高い大型トラック運転台をノックする。運転手は怪訝な顔で窓を開けた。ジョギングスタイルの私の説明にもボヤっと聞いている感じだった。そりゃそうだ。金沢から未明に3時間ばかり走って来て、入荷まで仮眠する訳も行かずスマホを見て眠気を我慢している運転手に、突然近所のオッチャンの顔がニュッと現われたのだから。
その1~2週間後、日が昇りポカポカ陽気を予想さす午前、同じ場所に小松ナンバーの中型トラックで荷造りの点検している若者。丁度私は、手に北國新聞の私の投稿紙面コピー持っていた。私「小松から来たん?」、若者「ご存知ですか、石川の下の方」、私「知ってる知ってる、何度も行ってる」。と、ここまではこの若者「何度も」という表現で「同業者」位に思っていたろう。ところが私が「支援に何度も」と言ったとたん、作業の手を止めまじまじとこちらを見る。そして北國新聞を見せ、手渡す。彼の顔が急に柔和になった。
先の大型トラックドライバーには私の連絡先が書いてある封筒、この中型ドライバーには新聞紙面だけ。だからまず返信は期待できない。
それでも、3時間ばかり走る石川~京都の道中で、待機の東寺東門辺りで、そんなオッチャンがいる事を思い出してくれれば、それで良い。
と、ここで本文を結ぼうと思っていたら、それから1~2週間後、暖かい冬の日差しが立ちこむ朝8頃、新調した上等の会津の桐下駄でカランコロンと歩いていたら、くだんの大型トラックがいる。歩道から運転台助手席をノックする。私「覚えてる?」と聞くと、彼は即座にゴミの山と化した助手席から、先日渡した封筒を掲げた。いや~嬉しい限り。
実はその日は、私が74歳になった翌朝だったのだ。
その東寺東門から南に下がった車道には、工事や食品車両が目的地の開門前で、毎朝数台が北向きに待機している。その金沢ナンバーの大型トラックもその内の1台。
3月、初めて能登・羽咋、七尾支援に行った後から少し気にはなっていた。かなり気にし出したのはやはり9月の豪雨(二次、複合)被害から。気にし出すと、いつ並んでいるかと毎朝歩道をウィーキングしながら見ていた。どうも2~3週間に1回くらいのペースの荷物入荷と思われた。
11月中旬のまだ薄暗い6時過ぎの朝見つけた。自宅に取って返し、北國新聞記事などを封筒にしたため、再度トラックのもとに。身長より高い大型トラック運転台をノックする。運転手は怪訝な顔で窓を開けた。ジョギングスタイルの私の説明にもボヤっと聞いている感じだった。そりゃそうだ。金沢から未明に3時間ばかり走って来て、入荷まで仮眠する訳も行かずスマホを見て眠気を我慢している運転手に、突然近所のオッチャンの顔がニュッと現われたのだから。
その1~2週間後、日が昇りポカポカ陽気を予想さす午前、同じ場所に小松ナンバーの中型トラックで荷造りの点検している若者。丁度私は、手に北國新聞の私の投稿紙面コピー持っていた。私「小松から来たん?」、若者「ご存知ですか、石川の下の方」、私「知ってる知ってる、何度も行ってる」。と、ここまではこの若者「何度も」という表現で「同業者」位に思っていたろう。ところが私が「支援に何度も」と言ったとたん、作業の手を止めまじまじとこちらを見る。そして北國新聞を見せ、手渡す。彼の顔が急に柔和になった。
先の大型トラックドライバーには私の連絡先が書いてある封筒、この中型ドライバーには新聞紙面だけ。だからまず返信は期待できない。
それでも、3時間ばかり走る石川~京都の道中で、待機の東寺東門辺りで、そんなオッチャンがいる事を思い出してくれれば、それで良い。
と、ここで本文を結ぼうと思っていたら、それから1~2週間後、暖かい冬の日差しが立ちこむ朝8頃、新調した上等の会津の桐下駄でカランコロンと歩いていたら、くだんの大型トラックがいる。歩道から運転台助手席をノックする。私「覚えてる?」と聞くと、彼は即座にゴミの山と化した助手席から、先日渡した封筒を掲げた。いや~嬉しい限り。
実はその日は、私が74歳になった翌朝だったのだ。

