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特別企画連載

つながり、分けあいA  佐伯快勝(浄瑠璃寺住職)

続北山十八間戸

 前回、文字通り貧窮孤独苦悩の病者、ハンセン病患者を療養介護する民間施設であった“北山十八間戸”(きたやまじゅうはちけんど)という文化財を紹介した。
 強制隔離政策が徹底していくなかでの想像を絶する悲惨な実態が、5月の熊本地裁判決を機に次々と報道されている。富国強兵をめざした国策がだんだん神がかってくる昭和初期から、それが一変したはずの敗戦後、どころかこの平成にまで隔離政策は、持ちこされてきた。社会のなかで十分治療できるし、戦後はプロミンという特効薬も出てどんどん治っている。隔離政策など時代錯誤も甚だしいとする世界の流れに逆らい、孤立してまでなぜ放置されてきたのだろう。そのほとんどを知らなかった自分を恥じながらこのごろの報道を見聞きして思う。
 隔離政策によってつくられた療養所、それは強制収容所ともいえるが、当然街から、社会から隔絶された場所にある。
北山十八間戸は元の位置も、江戸時代に再建された現在の位置も、奈良から京都への幹道沿いにあり、奈良の町にも接している。
 これらの創始は13世紀、西大寺の叡尊(えいそん)とその高弟忍性(にんしょう)の両上人と一門の人々。シャカの説いた正法を興隆して、生けとし生けるみんなをしあわせにする「興法利生」(こうぼうりしょう)をスローガンに、精力的に動きまわったご生涯の事跡が各種の文書などで伝えられている。
 叡尊90歳、忍性87歳という当時の没年は現代の金さん銀さんの比ではない。衆生(みんな)のための造寺造仏、そのいくつかは今に伝えられているが、超一流の文化財である。材料も技術者も超一流が集まっていた。橋を架け、道をつくり・・・と土木事業も多く手がけ、社会からはじき出された弱者の救済の先頭に立つ。北山十八間戸はその記念碑の一つである。
                                                  (しんぶん「赤旗」2001年7月8日掲載)


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