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特別企画連載

つながり、分けあい@   佐伯快勝(浄瑠璃寺住職)

北山十八間戸

梅雨の中やすみ、強い日差しが照りつける午後、久しぶりに「北山十八間戸」(きたやまじゅうはちけんど)へいく。東西にのびる細長い一棟の長屋、その南北両面に同じ幅の戸が"しま模様"となって白壁の中にうかぶ。北側の裏戸は十八枚それぞれに北山十八間戸に刻まれている。東の端には仏間とよばれるそこだけ少し高くなった棟の一間が付いている。

東の庭には石造五輪塔の丸い水輪多数などが置かれている。西側を通る道路は奈良から京都への奈良坂越え古道で、この道を北へ進むと、ほどなく般若寺の西門(国宝)という位置にある。昔の慈善施設として、大正時代国の史跡指定を受けた文化財で近年保存修理されており、簡素で美しい姿をみせている。鎌倉時代は般若寺の北の方にあったが、近世になって今の位置に再建されたものである。 この建物はハンセン病の人々を中心に貧弱孤独で苦悩する病人の療養介護の施設として13世紀につくられ維持されてきた。

この5月熊本地裁が「ハンセン病患者を隔離する政策は違法」との判決を出してくれた。にわかに国、自治体などの謝罪が続いている。

ハンセン病患者への偏見や差別は昔からあった。それを権力が法律で、制度として'患者を絶対隔離する'ことを決定づけた「らい予防法」の制定は昭和6年、私の生まれる前の年、70年前である。強制的にすべての患者を隔離し収容するとしながら、療養所は全然不足。各地で悲惨な情景が展開したという。断種、中絶を強制し、死に絶えることを待つという国策が、それを促進する徹底した広報とともにおこなわれた。 太平洋戦争への準備とともに、国をあげて暗い方向づけがすすみ、仏教集団も追随させられた。

(しんぶん「赤旗」2001年7月1日掲載)


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